2021年03月29日

鹿島本館が解体される【福岡市初の国の登録有形文化財!】

福岡市博多区冷泉町。
櫛田神社の参道沿いに建つ「鹿島本館」。

2006年12月、福岡市内の建造物では初めて、国の登録有形文化財の指定を受けています。
大正末期から昭和初期に旅館建物として建てられた数寄屋造りの建物3棟が、その指定対象です。

コロナ禍前は、内装や中庭などが、外国人観光客の宿泊先としても好評を博していました。全盛期は修学旅行生なども宿泊に利用していたそうですね。
なによりも、宿泊代金も比較的リーズナブルだったからそうですが…。



自分は何度も近くを通るのですが、久しぶりに通ると…白い防音シートで覆われていました。
付随する「コーポ鹿島」が解体され、「鹿島本館」も、一部分がすでに解体が進んでいました。




▼現場に貼られている書類の写しをみると、解体工事のようです。


3月16日からとあるので、まだ2週間弱しか経っていませんね。
突然のことにちょっと驚きです。



▼昨年撮影した鹿島本館



▼「国の登録有形文化財」の銘板



コロナ禍で経営悪化でしょうか。改装工事だとしても配慮はすると思いますよね。
それに、その建築に係わる旨の看板が立つはずですものね。

ここ数年、全国各地の国の登録有形文化財も同じように解体されることが続いています。
やはり、建物の老朽化、後継者がいなかったり、もっとも修繕など維持費などもかかります。何より、いまはコロナ禍…。


繰り返しになりますが、福岡市で初めての国の登録有形文化財に指定された建造物だけに、建物だけは残してしてほしかったですが…ただただ残念です。



☆ 福岡市博多区冷泉町3-11  


2021年02月06日

櫛田会館は○○の跡地だった!山笠が東長寺前を通る理由もここから!

昨日(2月5日)の記事でざっくりと載せましたが、櫛田神社の境内に「櫛田会館」という建物があります。

櫛田会館は令和7年の式年遷宮に向けて、現在の建物を解体させたのち、新しい建物が建てられます。





この櫛田会館が建てられたのは、さすがに明治以降です。
しかし、この建物が建てられる前、ここにはなにがあったのでしょうか。櫛田神社の境内には変わりはありません。



博多祇園山笠の追い山ルートに、大博通りに面した東長寺の前を廻るのはご存知でしょう。
そこには山笠シーズンには清道旗が立てられています。




この先にある承天寺こそ山笠の発祥の地で知られていますが、しかしなぜに東長寺も廻るのですか?
祇園町の交差点を直進すればいいのに、わざわざUの字みたいにクルッと廻るのは無駄ではないですか?


歴史を紐解くって面白いもので…


東長寺は、追い山の始まりのときは休憩ポイントでした。

いやぁ〜昔の博多っ子って、実にのんびり屋さんですね〜。
いまの追い山は5kmあるコースを30分そこそこというハイペースで駆け抜けるのにな〜。(^^)


って、、いやいや…
休憩していたといったそういう記述も残っているらしいけど、それだけでブログの記事にするわけがないです。


……


実はこの櫛田会館が建っているところには、神護寺というお寺がありました。

この神護寺は遍照院という寺号でも知られ、かつては東長寺の末寺でした。
お寺はいまでこそ現在の篠栗町(現「石原山 遍照院」)にありますが、古くは、櫛田神社の境内、すなわち、この櫛田会館が建っているところにあったそうです。



時をさらに過去に戻してみましょう。
東長寺は、806年、唐から帰国した空海(弘法大師)が博多に滞在したときに創建されました。
ずばり、密教が東に長く伝わるように祈願されて「東長密寺」と名付けたそうです。

その後、福岡藩第2代藩主・黒田忠之によって再興されて現在地に移されたことで、黒田家の菩提寺の一つにもなっています。(境内にはいまも黒田忠之の墓などがある。)


東長寺の境内に「六角堂」というのがあります。
六角堂は1842年建立で、弘法大師像の他6体の仏像が置かれています。





この六角堂こそ、櫛田神社境内の神護寺に建てられていたものなのです。

さらに神護寺は、神仏習合の時は櫛田神社を管理していました。
つまり、櫛田神社にはその当時は正式な神官が不在だったので、神護寺の住職が櫛田神社の神官も兼ねていたのだそうです。

しかし、明治初期の廃仏毀釈によって、寺は無住となってしまいます。
そしてさらに明治36年には、本尊だった庚申尊天(県の重要文化財)とともに現在地(前述のように篠栗町の「石原山 遍照院」として)に移ったのです。

前述のように、明治に入ってからの廃仏毀釈によって、六角堂は本山でもある東長寺に移され、櫛田神社はこのときに独立したのでした。


ちなみに、『筑前名所図会』という古い書物の中にある櫛田神社境内を描いた挿し絵が載っていて、このなかで神護寺のあたりに「本地寺」という文字と絵が見られます。この本地寺が神護寺とされているようです…。

▼「筑前名所図会」((注)PDF)の挿し絵
https://www.nakamura-u.ac.jp/library/kaibara/archive05/pdf/d32.pdf
櫛田神社の挿し絵は、この資料(PDF)の7ページにあります。今の櫛田会館のあるあたり(松の木っぽいのが描かれている右下付近)を拡大させていくとわかりやすいかもです。

過去の廃仏毀釈で神社と寺が分離された現代、それでも現在に至るまで山笠と切っても切れない関係なのは、こうした歴史があるからなのですね。
いまの櫛田会館の外観もどことなくお寺の本堂っぽくも見えますねー。

(櫛田会館の解体されたあとに、文化財保護の発掘調査があるかもしれないですが…遺構がどうなっているかも気になりますね。)


▼「石原山 遍照院」の公式サイト…にも解説が載っています。(^^)
http://sasaguri-henjoin.com/index.html  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影博多祇園山笠地域情報

2020年10月25日

博多おくんちの御神幸行列

10月23日~24日、櫛田神社の秋季大祭「博多おくんち」が行われました。

24日午後からは博多の町を練り歩く御神幸行列がありました。





今年は新型コロナの影響から規模が縮小され、稚児行列などの参加が見送られましたが、博多どんたくの起源といわれる博多松ばやしの傘鉾が初めて参加しました。



傘鉾に関しては…今年だけなのか、今後も永続するのかは不明ですが、貴重な場面ですね。


いずれにしても、秋晴れの下で無事に行われたことがなによりです。  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影地域情報イベント関連

2020年06月24日

マップMEMOというメモ帳

一般社団法人日本地図センターから発売されている『マップMEMO』。(ISBNコードがあるので刊行が正しいかもしれない)
だいぶ前から話題になっていたりしますが、ジュンク堂書店福岡店の閉店にあわせて在庫があるみたいなので、買いました。

マップMEMOは地形図をリサイクルしたもので、地形図を裁断して、裏白紙部分をメモ帳として再活用した商品となっています。
当然、その裏は地形図のままです。ただし、ビニールで包まれているため陳列状態では詳細は伺えません。
なにが綴じられているかは、買ってからのお楽しみにと言うわけですね。(^ω^)


自分が買ったうちの1冊…著作権の問題もあると思うので一部だけ紹介


表紙は2種類あります。こちらはブルー。パッと見、メモ帳らしく見えませんが。



東京ドーム~神楽坂~早稲田大学~環五(環状五号線)

東京都心が出るとは。。!(^ω^)

秩父鉄道秩父本線の三峰口駅周辺

三峰口駅は埼玉県最西端の駅(かつ終着駅)ですね。(^ω^)



地形図を使ったメモ帳なので普通のメモ帳より厚みもあります。耐久性も申し分なしですよ。
メモ書きしつつ、裏の地図でちょいと遊んでみたり…そんな楽しみもできそうです。  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影地域情報

2019年02月06日

西鉄「THE RAIL KITCHEN CHIKUGO」試運転はじまる!

3月23日から西鉄天神大牟田線で運行を開始される、西鉄初のレストラン観光列車「THE RAIL KITCHEN CHIKUGO」の試運転がはじまりました。
先日1日には、筑紫車両基地でマスコミ向けの御披露目が行われましたね。


ちなみに、試運転には、同社の倉富社長も乗車されていたことからも、西鉄の本気度が伺えます。


大牟田寄りが1号車になります。





(試験場前駅にて撮影)

改造されたのは、6050形の6053F編成。もともと4両ですが、中間車1両を減車して3両になっています。減車で省かれた車両は廃車予定とのこと。

前照灯はHIDランプに交換されていますね。
パンタグラフは従来の交差式。いっそのこと、シングルアーム式に交換すればよかったのに…。


「THE RAIL KITCHEN CHIKUGO」は、福岡(天神)から大牟田に向かう「ランチの旅」と、大牟田から西鉄福岡(天神)に向かう「ディナーの旅」。どちらも所要時間は約2時間半。
さらに6月からは「ブランチの旅」も追加され、区間は福岡(天神)から太宰府間で運転されます。
いずれも金曜と土休日に運転です。  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり西鉄(電車)撮影

2019年01月08日

福岡に残る昭和64年を巡る

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
更新頻度が減っていますが、ネタが尽きたというわけでもなさそうです。


さて、昭和天皇が崩御されたのが昭和64年1月7日。
自分は2歳半だったこともあり、その当時の記憶はありません。

昭和64年は1週間で終わり、翌8日から平成に元号が改められました。
その平成も今年4月で終わりを告げようとしています。

昭和64年は今もどこかに残っていないものかと調べると、ありました。

いずれも、福岡に。


まずは、中央区鳥飼の当仁小学校の近く。
ここにはかつて、福岡第一師範学校(のちの福岡学芸大学、現在の福岡教育大学の母体の一つ)から分離された「福岡県女子師範学校」があったそうです。

その女子師範学校が確かにあったことを示す石碑が建てられています。解説などの案内看板はなし。(撮影当時)



古地図にも「女子師範校」と記されていますね。



この石碑の裏にまわると
「昭和六十四年一月 奥田八二書」と刻まれています。


奥田八二は、当時の福岡県知事(1920-2001。県知事として、第10~12代の3期12年(1983-1995)務める。)。
当時の資料を見ていないので、この石碑が除幕・御披露目されたのがいつなのかが分からないですが、奥田八二県知事によって揮毫されたのは間違いなさそうです。
(当時、昭和天皇はすでに危うい状況からも自粛ムードが続いていたとも聞いています。)



もうひとつ。
博多区上川端町。櫛田神社の南門前に建つ、祇園マーケットがある古い建物。


裏手にある、喫茶 ふじやのドアの横に貼られているステッカーの一つに注目。



「アジア太平洋博 昭和64年3月17日→9月3日」

後に親しまれることになる「よかトピア」のことです。
(参考までに→ 西新駅の壁に残る、よかトピアの大型宣伝広告)



計画が持ち上がったのが昭和時代ですから、ステッカーもその当時に作られたものであることがわかります。

経年劣化で剥がれかかってはいますが、完全に剥がさないで残っているところが、老舗の喫茶店らしくていいですね。
当時は、このステッカーが各所で見られていたのではないでしょうか。
平成に元号が改められて、貼りかえられていたのでしょうけどね。


以上、福岡に残る昭和64年でした。他にもあったら、機会があるときに紹介していこうと思います。  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影地域情報

2018年04月24日

王仁神社

佐賀県神埼市に王仁神社(わにじんじゃ)という神社があります。





鰐大明神と王仁天満宮
この神社の創建は定かではないが、正面の鳥居は元禄十二年(1699年)に氏子三村から寄進されたものです。
御祭神としては鰐大明神と熊野三社が祭られているところから渡海者の安全を祈願されたものと思われますが、当社には王仁天満宮と刻まれた小さな石祠も祭られています。
「王仁」というのは、4世紀後半に応神天皇に招かれて百済から多くの技術者集団をつれて渡来されたと古事記、日本書紀等に記載され、日本に初めて漢字の手本となる「千字文」と儒教の原典である「論語」を伝えた王仁博士ではないかと思われます。
王仁博士の一行は朝鮮半島の南西端にある上台浦(霊巖)から渡来したと伝えられていますが、日本のどこに上陸されたかは記録もなく不明です。
もし、吉野ケ里の渡来人と同じく目の前の有明海から北上したとすれば、ここ竹原地区付近に上陸されたと思われ、ロマンに満ちた夢は大きくふくらんできます。

神埼市
神埼市観光協会

と、現地案内板ではこう書かれています。


王仁博士上陸伝承之地



拝殿裏
熊野社(左)と鰐大明神(右)





ちなみに北東側では、王仁顕彰公園の工事が進められていました。これ、大仁田さんも市長選で問題視していた内容ですね。
工事エリアは立ち入れないので撮影していません。完成したらいつかは行きたいですね。

どうやら、吉野ケ里歴史公園と一体となった整備をしていくそうですが、周辺は小さな集落があるくらい。
現状、王仁神社へ行くためのまともな交通手段もないだけに不安もあります。
果たして、観光客を呼び込めるのでしょうか。
  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影佐賀

2018年04月23日

旧古賀銀行神埼支店

佐賀県神埼市。
櫛田宮の門前町に、『旧古賀銀行神埼支店』の建物が残されています。





国登録有形文化財(建造物)
旧古賀銀行神埼支店

この建物は、古賀銀行神埼支店が設立した明治44年から3年後の大正3年3月21日に新築竣工しました。
外観は、木造の洋風建築で、正面に花崗岩の円柱で支えられた切妻造りの玄関ポーチを構え、左右対称のデザインになっています。外壁は、モルタル洗い出し仕上で、柱や窓の上部に、石状の装飾が施されています。
内部は、客溜まりや執務室・会議室ともに吹き抜けとなっています。
外観は洋風ですが、木造で伝統的な和小屋組で屋根を支えるなど、在来の技術で作られた建造物であり、大正時代の佐賀地方の技術や文化を知る上で重要な建物です。
神埼市教育委員会





以前は、歯科医院になっていましたが閉院して、昨年、整備が完了されています。

建物内部の常時一般公開はありませんが、イベント時などにはあるそうです。
福岡市の赤煉瓦文化館や唐津市の旧唐津銀行のように、常時公開すれば、櫛田宮などと一体の観光資源になるはずですがね。


補足
古賀銀行は、明治18年、両替商の古賀善平が設立しました。
明治から大正にかけ、九州の五大銀行に数えられるまでに成長しましたが、世界恐慌による不況により、昭和8年に廃業しました。  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影史跡・遺産関連佐賀

2018年04月19日

肥前國神埼御荘総鎮守 櫛田宮

佐賀県神埼市。神埼市役所本庁舎の裏に櫛田宮(くしだぐう)という神社があります。



あれっ?「櫛田」と聞くと、「お櫛田さん」として親しまれている、博多祇園山笠でも有名な福岡市にある博多総鎮守『櫛田神社』のことを真っ先に思い出すのではないでしょうか。かくいう自分がその一人ですけどね。





実は、この櫛田宮から分祀されて創建されたのが、博多の櫛田神社という、深い関係があります。
神埼御庄時代、その貿易品や年貢米の積み出し港である博多に分社を作り、櫛田大明神の御加護を祈ったという説が通説です。
つまり、ここ櫛田宮が元宮であるということになるのですね。

ときは昭和になり、博多祇園山笠の資料にも最有力説として記録されていますから、間違いなさそうです。

櫛田宮は、日本書紀などに登場する景行天皇がこの地に訪れた際に建てられたとされています。
(ちなみに、景行天皇は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の父であることも有名です。)
つまり、弥生時代にさかのぼります。となると、ここからほど近い吉野ヶ里があった頃ですね。
また、神埼の地は、平家が支配する荘園があり、平清盛もその勢力のバックボーンとなっていたのだとか…。


境内には多くの文化財があります。櫛田神社と比べたら怒られそうですけど…。

石造肥前鳥居…県重要文化財に指定されています。


琴の楠…伝承では、樹齢1000年を超しています。



祇園社
こちらは須佐之男命(スサノオノミコト)を祀っています。
2011年5月に発生した火事で拝殿が全焼となり、いまは新しく建て替わっています。道理できれいな外観だったこと…。



「神埼そうめん発祥の地」の石碑
寛永十二年小豆島より行脚し来たれる一雲水この地に於て罹病困窮せり 一丁目に住む伊之助深く同情し日夜看護に努めければ病程なく癒へたり
雲水報恩のため素麺製法の秘法を伝授せり 伊之助生涯この道を精進し品質改善に努めしかば名声諸国に広まれり
由来神埼町が名産素麺の町として繁栄し今日に至りしは正に伊之助の道徳にして有志相諮り縁りの地に碑を建立し之を顕彰するものなり


…これからの季節、そうめんが食べたくなりますね~。
親戚がいる縁もあり、昔はしょっちゅう、神埼そうめんももらっていました。いまは他県のそうめん(揖●乃糸とか)に浮気しています。。w


「神埼 発祥の地 櫛山」の石碑
この地は櫛田大明神を最初にお祭りになった場所で 櫛山と称して諸人拝み奉る(肥前古蹟縁起 当宮古文書) 神霊鎮護の神聖なる旧蹟(由緒記)と伝えています。
災難が多かった当地方も櫛田宮をここに祭って以来、幸福の地となり、神幸(かみさき)の里と名付けられ、今は神埼といいます。


…神埼の名前の由来も興味深いものですねぇ。


長崎街道 神埼宿の石碑…長崎街道の宿場町の一つが、ここ神埼宿でした。門前町がちょうどそこにあたります。



大仁田さんの応援&お手伝いで神埼に来たからには、合間を縫って、せっかくの機会に訪問した次第。もちろん、お参りしましたよー。(^ω^)
  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影史跡・遺産関連佐賀

2018年04月14日

熊本地震から2年(#1)熊本城天守閣の鯱を見る

今日で熊本地震から2年。
熊本城は大天守閣の上を覆っていた傘状のシートが外され、屋根瓦が葺かれていて、今月末には完了予定ですね。

ところで今月6日には、新しく作り直された大天守の鯱(しゃちほこ)が大天守閣に設置されました。

その鯱は、期間限定で「熊本城ミュージアム わくわく座」(旧「歴史文化体験施設 湧々座」)でお披露目&展示され、間近で観ることができました。
今回は、わくわく座で展示されていたときの様子を紹介します。


昨年8月30日から公開された、新しく作り直された天守閣の鯱。



大天守の鯱は、2月28日まで展示されました。

高さ119cm、幅47cm、奥行73cm、重さ100kg
製作:藤本康祐氏








熊本城の鯱の目は、上を向いているのが最大の特徴といえます。



小天守の鯱は現在も展示中で、こちらは来年の8月31日までの展示予定です。

高さ86cm、幅38cm、奥行60cm、重さ70kg
製作:藤本修悟氏










鯱の製作工程の写真パネルもありました。

1. 粘土練返し


2. 成形


3. 模様付け


4. 乾燥


5. 焼成(窯焼き)





熊本城天守閣の鯱にまつわる、興味深い記録が残っています。

最近だと、2007年に破損が見つかったことで、作り直されていたとういうこと。つまり、熊本地震で落下してしまった鯱は、短い期間だったのですね…。

さらに驚くことに、落下してしまった鯱も含め、藤本家3世代による製作という点です。
藤本康祐氏の父の藤本勝巳氏は7年前に亡くなられましたが、その当時の設計図が残されていたそうです。
もし、設計図が捨てられていたら…作り直されるのはいまよりも遅かったかもしれませんね。


復興に向かって、着実に動いています。
がんばろう熊本、がんばろう九州

先日、大分県中津市耶馬渓で発生した土砂崩れで被災された方々へ、遅ればせながら、お見舞い申し上げます。  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影史跡・遺産関連熊本熊本城

2018年03月22日

熊本の半世紀を見つめてきたコカ・コーラのビル(大学堂ビル)



熊本市中央区の水道町交差点。
屋上の「コカ・コーラ」のネオン広告がある建物が、半世紀の歴史に幕を下ろした。


正式には、大学堂ビルといって、1968年に竣工した5階建てのビル。
コカ・コーラの看板が取り付けられたのは、その翌年or翌々年だそうだ。

しかし、熊本地震で建物が半壊…。
そして今月から、建て替えに向けて、解体工事がはじまっています。

国道3号と電車通りが交差する絶好のスポット。
大学堂ビルというよりも、「コカ・コーラ(の看板)のビル」として、市民らから親しまれてきました。


新しい建物(完成時期などは未定)に、再び、コカ・コーラの看板がお目見えするか気になるところですが、見慣れた風景がまたひとつ消えるとなると、やっぱり、寂しさを感じますね。


大学堂ビル
熊本市中央区水道町1−27
  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影熊本

2018年03月19日

JR熊本駅完全高架化切替完了!懐かしの写真(#1)煉瓦造りの機関庫

2018年3月17日、JR熊本駅周辺の連続立体交差事業により、熊本駅の在来線ホームが完全に高架線へ切り替えになりました。
工事期間中には、熊本地震などがあったものの、工期は予定通りにおわった感じですね。

今後は、表玄関だった3代目の駅ビル(東口/白川口)が解体されて、その跡地に、安藤忠雄氏が手掛ける新しい駅ビルが建てられます。2022年に完成する予定です。
ちなみにホーム上屋も、安藤忠雄氏によるもの…気づきませんでした。


今回は、熊本駅の少し懐かしい写真をシリーズで取り上げていこうとおもいます。

1回目は、煉瓦造りの機関庫。





煉瓦造りの機関庫があったのは、熊本駅西側、現在の九州新幹線の高架線のところでした。





当時、熊本駅の西側には、熊本鉄道事業部が置かれていて、留置線も何本もあり、車両の留置、整備もうけていました。

機関庫でもいろんな車両を見守ってきただけに、歴史的にも貴重なものと思えたのですが、2005年夏頃から、九州新幹線の工事で惜しくも解体されてしまいました。







どこかに移築して保存できなかったものか…。

しかし、この地に今も残っていたとしても、地震に耐えられたのかといえば、そうとも限らないでしょうけど。


南側には、熊本鉄道事業部の建物やそこに隣接した煙突、給水塔なんかもありました。こちらも懐かしいです。いまは駐車場とマンションになっています。





覚えている人は良いでしょうけど…
熊本駅に隣接して、煉瓦造りの機関庫があったんだよなんて言ったら、信じてくれるでしょうかね。  


2018年03月05日

筥崎宮の大鳥居が見納めに!?

初詣や玉せせりはもちろん、博多の秋の風物詩である放生会などでお馴染みの筥崎宮。

その筥崎宮の参道にある大鳥居について。
筥崎宮の大鳥居は、正しくは三之鳥居といいます。
国道3号線に面して建てられていることはご存知のこととおもいます。




この大鳥居は、昭和5年に完成し、昭和49年には大修理が行われました。築88年ということで、人間でいえば米寿です。

高さ16mを誇り、当時から福岡のシンボルのようなものでした。


そんな、大鳥居の脇(海側)に看板が立てられていました。


筥崎宮大鳥居解体工事のお知らせ
筥崎宮大鳥居のモルタルが落下する危険性がございます。安全のため解体する事となりました。



ムムッ!?
解体されちゃうの!?

鉄筋コンクリート造りで、モルタルが落下する危険性があるなら、修繕すればよろしいのではと、思うのですが……それではいけなかったのですかね。


しかし、自分がこの記事を執筆している段階では、解体される旨に関してのお知らせはこの看板だけであり、筥崎宮のサイトにはなにも載っていないんです…。

そうなると、当地で再建されるとは限らないわけで、シンボルが消えてしまうことになりそうです。(あるなら、お知らせがあるでしょうしね。)




扁額の『八幡宮』の揮毫は、完成した当時の、第25代※福岡県知事の松本學によるもの。(※当時は大日本帝国憲法下による官選での選出)



柱に埋め込まれたプレート。

紀元2590年記念事業の一環として建てられたことがわかります。県による奉献ということは、公共事業だったのですね。

設計監督は、福岡県営繕課長の薄與荘と同嘱託技師の是永雄で、施行は清水組とあります。(清水組は、現在の清水建設。)


もうひとつ。
こちらは、昭和49年の大修理の際によるもの。筥崎宮がそのときの資金を出しています。



東浜ふ頭と箱崎ふ頭を結ぶ、潮井浜橋から。ではなく、潮なんですね。
個人的に博多祇園山笠のお汐井とりのときに行きたかったスポットです。




手前に都市高速が通っているので、タイミングを見ながら…撮れます。

兎にも角にも、解体は残念でなりません。


昨日の暖かな好天とは一転、今日は未明から雷雨の大荒れ…。昨日行けて正解でした。  


2018年02月13日

雪の竈門神社(20180206)

年が明けてから、平年以上に寒い日が続いている福岡。
インフルエンザ感染者数も全都道府県でダントツです。


さて先週、太宰府の九州国立博物館へ行くついで(「白隠さんと仙厓さん」の作品を見るため)に、竈門神社へ参拝しに行きました。

寒波襲来で太宰府市も雪。時々、視界が遮られるほど吹雪になりました。

コミュニティバスのまほろば号は、チェーンを取り付けて何とか運行していたのが救いで、無事に往復で乗れました。
運休だったら、徒歩も考えていましたが…。(雪の山道になるので、太宰府駅から1時間はかかっていたかもしれない。)


竈門神社は、宝満山の麓にある、縁結び、方除け、厄除けの神様を祀る、由緒ある神社ですね。




宝満山山頂を含めたこのあた一帯は、国の史跡にも指定を受けています。
近年、社務所ならびにお御籤の授与所も新しくなり、登山者以外にも季節を問わず多くの人が訪れます。

境内には、神鹿園があり、日本鹿が飼われてます。
寒さに凍えているのか、大人しかったです。しかし、雪がまた似合いますねぇ。(帰り際には、流石に、小屋のなかに入られたようでした。)



この日はさすがに参拝者は少なめでした。
途中から吹雪いてきて…足元もズボッと、それはもう…大変でした。

初夏から晩秋にかけてももっとも良いでしょう。改めて、撮影しに行きたくなります。  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影史跡・遺産関連地域情報

2018年01月26日

二日市温泉

こないだ、筑紫野にある二日市温泉に行ってきました。
二日市温泉といえば、大丸御殿などの温泉旅館が有名ですね。


もっと気軽にという…気軽に立ち寄れるスポットは2つ。御前湯と博多湯があります。
ともに道路を挟んであるので、はじめは迷うところです。

御前湯



博多湯



御前湯は250円、博多湯は300円と、どこぞのスーパー銭湯よりも断然安いです。

今回は、博多湯にしました。

入浴料が安いですから、両方入るのもありですね。のぼせない程度で。


博多湯は、建物の1階に脱衣所と浴場があり、町の銭湯のように狭いながらも、掛け流しでいつ来ても新しいお湯が湧き出ているところがまたよかったりします。
また、朝は午前9時から開いているので、朝風呂にぴったり。貸タオルもあるので、昼から仕事などの人でもふらっと立ち寄れる
のがいいですね。特に地元の人が羨ましいです。

二日市温泉は少し硫黄成分のある温泉ですが、あまり気にしたことなどないです。


温泉から上がったあとは、自販機で瓶の牛乳を買って、ゴクゴクするもヨシ!2階の無料休憩所で少し休むもヨシですね。
また、飲泉用の温泉水を使ったコーヒーなどもあります。飲泉用の温泉水は容器に入れて持ち帰ることもできます。(ともに有料)



御前湯の前に、夏目漱石が詠んだ一句の石碑があります。


温泉(ゆ)のまちや 踊ると見えて さんざめく  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影地域情報

2018年01月17日

天神にはかつて西郷どんがいた!

今年(2018年)のNHK大河ドラマは、幕末の志士の一人だった西郷隆盛を取り上げた「西郷どん」。すでにご覧の方もいることでしょう。

その西郷どんこと西郷隆盛は、福岡にも深い縁があったことをご存知だろうか。

親不孝通りからわずか歩いたところ、兼平鮮魚店の前に『西郷南洲翁隠家乃跡』という石碑が立っています。




西郷南洲とは、西郷隆盛の号。隠家跡とあるように、隠れ家だった場所が記されています。

この石碑以外、何の説明書きもないので、興味本位じゃなければ、通り過ぎてしまいがちです。

しかしなぜ、ここに西郷隆盛がいたのだろうか。

時は幕末期。
江戸幕府を倒して新しい政治を行おうと活動していた、西郷隆盛。
大老だった井伊直弼による弾圧「安政の大獄」から逃れて、当時ここには、福萬醤油(現存/親不孝通り挟んだ向かい側にあり)の蔵があり、西郷どんは一時的に身を潜めていたというのだ。

尊王攘夷派の僧侶だった月照とともに、故郷鹿児島へ逃げる途中、この地に立ち寄ったという。
月照を福岡藩の平野國臣に預け、自身は先に鹿児島へ戻って、月照を迎え入れる準備をしていたと伝えられています。

身を潜めていたのはわずかな期間だったとはいえ、のちに時代を動かすことになる偉大な人物。それもあって、石碑がたてられたのではないでしょうか。



この身を潜めていた部分がドラマの作中で登場するかどうか…まあ、月照も登場するので…もしかしたら。  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影福岡市中央区天神

2017年11月30日

昭和の天神ビッグバン「土地の三角交換」

天神ビッグバン。
天神ビッグバンとは、天神地区では,アジアの拠点都市としての役割・機能を高め、新たな空間と雇用を創出するプロジェクト。

実は、昭和の時代にもこれを匹敵する計画があったことを忘れてはなりません。
(まあ当時は「天神ビッグバン」なんて呼ばれていなかったでしょうが。)

その一つが、「土地の三角交換」。

1955年、天神のあらゆる業種の約100社により天神町(天神)発展会が発足。
それ以前からあった、岩田屋と新天町が中心となって結成された都心連盟(現在の都心界)も加わることになります。

この当時、岩田屋の他に天神交差点に面していたのは、店じまいの早い銀行や郵便局で、街の顔なのに夕方は人通りが減っていました。
発展会は「天神交差点を東京・銀座のようににぎやかに」という要望があがります。

そして1957年11月、天神が九州一の繁華街・ビジネス街として発展する転機となる「土地の三角交換」が決定しました。

土地の三角交換の概要はこうでした。

現在の福岡ビルの場所にあった旧福岡郵便局(現在の福岡中央郵便局)が、現在地へ移転。

その跡地に移転予定だった福岡銀行本店が、現在地へ移転。

さらに、現在の福岡銀行本店の場所にあった旧天神市場のテナントが、「福岡ビル」に入居する。


という、当時としては画期的な都心化計画が実現することになったのです。

福岡中央郵便局


福岡銀行本店


福岡ビル




昭和20年代後半の国土地理院地形図より。
よくよく見ると、現在の福岡ビルの場所に郵便局のマークがあるのがわかります。



福岡ビル建設途中の航空写真より。

(よくよく見ると、旧西鉄福岡駅も建設途中です。)


その後、天神の発展が加速するきっかけとなろうとは…。


一見すると複雑なモノだったのだろうと思っていたのですが、3年近くも協議しているわけですから、相当なものだったに違いないです…。


その計画から60年。
その3つのうち、当時から現存するのは福岡ビルだけですが、その福岡ビルは、天神ビッグバンの計画の一つに上がっている、航空法
による建物の高さ制限の緩和によって、2022年の完成を目指して、建替計画が進んでいます。
しかし、西鉄本社の仮移転地の確保はもちろん、現在入居しているテナントの補償など、どうなるのか…。


【お知らせ】

福岡市では、明日12月1日の午前10時と10時5分の2回、“訓練”で緊急速報メールが配信されます。

‬ “マナーモードでも音が鳴ります!”
訓練の時間にどうしても音を出したくない場合は電源を切っておいてください。
メールの配信時間に、福岡市に滞在しているすべての方を対象に配信されます。

SIMフリー携帯の方などは受信できない場合がありますが、今回はスマートフォンアプリ「Yahoo!防災速報」でも配信されます。受信されたい方はあらかじめダウンロードをお願いします。
また配信時間には電車が一旦停車します。地下鉄、西鉄電車、JR九州(新幹線は除く)が停車し、安全確認後に運行を再開されます。  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影福岡市中央区天神

2017年11月23日

博多ライトアップウォーク2017「博多千年煌夜」(#13)龍宮寺

博多ライトアップウォーク「博多千年煌夜」。


承天寺、東長寺、妙楽寺、円覚寺、本岳寺、善導寺、妙典寺、海元寺、正定寺、龍宮寺
櫛田神社、博多千年門、葛城地蔵尊


このなかから今回は、龍宮寺(りゅうぐうじ)を紹介します。


龍宮寺は浄土宗のお寺です。開創時期は不明ですが、元はより海辺に近いところにあり、浮御堂といいました。貞応元年(1222)に博多津で人魚が上がったため、朝廷に奏上したところ、勅使として冷泉中納言がやってきて、検分のために滞在することになりました。この時、安部大富という陰陽師が人魚出現を「国家長久の端兆」と判じたため、人魚塚を建立し手厚く埋葬し、お寺の名を龍宮寺と改め、勅使にちなんで山号を冷泉山としました。寺宝として「人魚の骨」「人魚の絵」を秘蔵し、境内には人魚の菩堤を弔う「人魚塚」があるほか、観音堂の聖観音像は伝・慈覚大師作の博多七観音のひとつです。




本堂




本堂内では、秘蔵する人魚の絵と人魚の骨が特別展示されました。




観音堂



三宝大荒神



冷泉山 龍宮寺
福岡市博多区冷泉町4−11

ということで、今年の「博多千年煌夜」の寺社巡りの事後レポートは今回で終了となります。
あと1箇所、櫛田神社が残っています。櫛田神社では拝殿内部が特別公開されたのですが、今回唯一、撮影禁止だったので、ブログでの公開はお蔵入りしますことをご了承ください。(_ _)  


2017年11月22日

博多ライトアップウォーク2017「博多千年煌夜」(#12)東長寺

博多ライトアップウォーク「博多千年煌夜」。


承天寺、東長寺、妙楽寺、円覚寺、本岳寺、善導寺、妙典寺、海元寺、正定寺、龍宮寺
櫛田神社、博多千年門、葛城地蔵尊


このなかから今回は、東長寺(とうちょうじ)を紹介します。


東長寺は真言宗九州教団の本山。真言宗の開祖である弘法大師は大同元年(806)、唐での修行を終え博多に帰着後、海辺の地に一伽藍を建立、真言密教が東方へ広がることを祈願したと伝えられます。大師はこのとき33歳、弘法大師創建としては日本最古の寺院です。本堂には、弘法大師自作と伝えられる弘法大師像、平安時代に制作された木造千手観世音菩薩立像(重要文化財)、弘法大師作といわれる不道明王立像の三体が据えられています。また、大仏殿には日本最大級の木造座像「福岡大仏」が鎮座し、多くの人が拝観に訪れます。(福岡大仏のライトアップはありません)



本堂・五重塔
数分ごとに変化する本堂の演出に注目。山笠をイメージした色やスピード感を演出。






梵鐘



六角堂
フルカラー照明の発光部に水を張ったコップを置き、ポンプによって水に動きを加えることで、光に動きが生まれる。





南岳山 東長寺

福岡市博多区御供所町2−4  


2017年11月21日

博多ライトアップウォーク2017「博多千年煌夜」(#11)博多千年門

博多ライトアップウォーク「博多千年煌夜」。


承天寺、東長寺、妙楽寺、円覚寺、本岳寺、善導寺、妙典寺、海元寺、正定寺、龍宮寺
櫛田神社、博多千年門、葛城地蔵尊


このなかから今回は、博多千年門(はかたせんねんのもん)を紹介します。


博多千年門は、博多を訪れたお客様を歴史的文化財が残る博多の寺社町エリアへと導くウェルカムゲートです。博多のこれまでの千年の重みとこれからの千年の繁栄を願い、「博多千年門」と名付けられました。地域住民、地元企業、行政が一体となって建設に取り組み、平成26年3月に完成しました。

南側(博多駅側)


北側(寺社町側)





博多千年門
福岡市博多区博多駅前1丁目7