2016年10月19日
カープ応援ラッピングトレイン
10月15日は、下関総合車両所の公開でした。
車両展示には、3月中旬~11月上旬頃まで運行されている『カープ応援ラッピングトレイン』(カープ電車)もいました。(^^)
カープ電車は、下関総合車両所(広セキ)に所属する、115系L-08編成にラッピングされています。
おもに広島地区で運行されていますが、日中はすでに227系の独壇場となっているため、朝夕くらいしか見られないのだとか。見れたら幸せですね。

運行当初は『真赤激!』のヘッドマークが取り付けられていたようが、リーグ優勝を決めたあと、カープ坊や入りのV7のヘッドマークが取り付けられています。(両先頭車両に同じデザイン)

今年のスローガン『真赤激!』

側面には、主力選手たちの写真です。海側、山側とも同じデザインでした。(敬称略)
梵英心 #6

丸佳浩 #9

黒田博樹 #15

新井貴浩 #25

中崎翔太 #21

堂林翔太 #7

大瀬良大地 #14

菊池涼介 #33

田中広輔 #2

スラィリー #!

今年の広島カープは圧倒的な強さでリーグ優勝を果たし、クライマックスシリーズでもそれが続きました。
今週末からは、日本ハムファイターズとの日本シリーズ。どういう試合が見られるのか楽しみです。
(我らがホークスは、リーグ優勝を逃して、クライマックスシリーズもファイナルステージは2勝4敗。。)
車両展示には、3月中旬~11月上旬頃まで運行されている『カープ応援ラッピングトレイン』(カープ電車)もいました。(^^)
カープ電車は、下関総合車両所(広セキ)に所属する、115系L-08編成にラッピングされています。
おもに広島地区で運行されていますが、日中はすでに227系の独壇場となっているため、朝夕くらいしか見られないのだとか。見れたら幸せですね。

運行当初は『真赤激!』のヘッドマークが取り付けられていたようが、リーグ優勝を決めたあと、カープ坊や入りのV7のヘッドマークが取り付けられています。(両先頭車両に同じデザイン)

今年のスローガン『真赤激!』

側面には、主力選手たちの写真です。海側、山側とも同じデザインでした。(敬称略)
梵英心 #6

丸佳浩 #9

黒田博樹 #15

新井貴浩 #25

中崎翔太 #21

堂林翔太 #7

大瀬良大地 #14

菊池涼介 #33

田中広輔 #2

スラィリー #!

今年の広島カープは圧倒的な強さでリーグ優勝を果たし、クライマックスシリーズでもそれが続きました。
今週末からは、日本ハムファイターズとの日本シリーズ。どういう試合が見られるのか楽しみです。
(我らがホークスは、リーグ優勝を逃して、クライマックスシリーズもファイナルステージは2勝4敗。。)
2014年06月05日
熊本日帰り旅2014(#5)熊本電気鉄道のモハ71
熊本電気鉄道の北熊本車庫。
そこに、1編成だけ異色な車両がずっと佇んでいます。
モハ71。

モハ71は、昭和3年に日本車輌で製造されて、元々は現在のJR可部線で活躍していた車両です。
原爆の被害を間逃れて、のちに熊本電気鉄道にやってきた経歴があります。
そして、北熊本で入換車として活躍していましたが、熊本電気鉄道が100周年を迎えるにあたり、再整備されて、現在に至ります。
正面に菊池行きのサボ。手書きがいい感じですね。
リベットとよばれる接合部分が、時代を感じさせてくれます。
そこに、1編成だけ異色な車両がずっと佇んでいます。
モハ71。

モハ71は、昭和3年に日本車輌で製造されて、元々は現在のJR可部線で活躍していた車両です。
原爆の被害を間逃れて、のちに熊本電気鉄道にやってきた経歴があります。
そして、北熊本で入換車として活躍していましたが、熊本電気鉄道が100周年を迎えるにあたり、再整備されて、現在に至ります。
正面に菊池行きのサボ。手書きがいい感じですね。
リベットとよばれる接合部分が、時代を感じさせてくれます。
2011年08月06日
66年目の夏
8月6日は、広島市に原爆が投下された日。あれから今年で66年目の夏を迎えました。

改めて、思うことがあります。
広島がここまで発展できたことを、投下された当日、もがき苦しんでいた市民たちには予想できたことでしょうか。
僕は、広島に行くたびに、原爆ドームまで足を延ばしています。
宮島の厳島神社とともに、身近な世界遺産だからです。
二度と同じ過ちを犯さない。
核廃絶はみんなの願いでもあります。

いま、原発の問題もあります。
それにどう手立てを打つのか、注目したいと思います。
原爆ドームに近づいた時の写真は、以前にも公開済みなので、割愛します。

改めて、思うことがあります。
広島がここまで発展できたことを、投下された当日、もがき苦しんでいた市民たちには予想できたことでしょうか。
僕は、広島に行くたびに、原爆ドームまで足を延ばしています。
宮島の厳島神社とともに、身近な世界遺産だからです。
二度と同じ過ちを犯さない。
核廃絶はみんなの願いでもあります。

いま、原発の問題もあります。
それにどう手立てを打つのか、注目したいと思います。
原爆ドームに近づいた時の写真は、以前にも公開済みなので、割愛します。
2010年08月15日
原爆ドーム

1945年8月6日の午前8時15分。
一発の原子爆弾が広島市に落とされ、およそ15万人の命が奪われました。
あれから65年。
今年のヒロシマの平和式典には、各国の関係者らも参列し、黙祷がささげられました。

原爆ドームは、戦後65年を迎えたいまでも、ヒロシマの街を見つめています。

……
原爆ドームの近くには、戦後、復興の象徴として建設された、「(旧)広島市民球場」もあります。
その(旧)広島市民球場も、今年度中に解体されることになり、跡地は平和祈念公園の一部になる予定とのことです。
※哀悼の意を込めて、ヒロシマと書かせていただきました。
なお写真は、2008年9月に撮影しました。