2019年01月08日

福岡に残る昭和64年を巡る

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
更新頻度が減っていますが、ネタが尽きたというわけでもなさそうです。


さて、昭和天皇が崩御されたのが昭和64年1月7日。
自分は2歳半だったこともあり、その当時の記憶はありません。

昭和64年は1週間で終わり、翌8日から平成に元号が改められました。
その平成も今年4月で終わりを告げようとしています。

昭和64年は今もどこかに残っていないものかと調べると、ありました。

いずれも、福岡に。


まずは、中央区鳥飼の当仁小学校の近く。
ここにはかつて、福岡第一師範学校(のちの福岡学芸大学、現在の福岡教育大学の母体の一つ)から分離された「福岡県女子師範学校」があったそうです。

その女子師範学校が確かにあったことを示す石碑が建てられています。解説などの案内看板はなし。(撮影当時)
福岡に残る昭和64年を巡る


古地図にも「女子師範校」と記されていますね。
福岡に残る昭和64年を巡る


この石碑の裏にまわると
「昭和六十四年一月 奥田八二書」と刻まれています。
福岡に残る昭和64年を巡る

奥田八二は、当時の福岡県知事(1920-2001。県知事として、第10~12代の3期12年(1983-1995)務める。)。
当時の資料を見ていないので、この石碑が除幕・御披露目されたのがいつなのかが分からないですが、奥田八二県知事によって揮毫されたのは間違いなさそうです。
(当時、昭和天皇はすでに危うい状況からも自粛ムードが続いていたとも聞いています。)



もうひとつ。
博多区上川端町。櫛田神社の南門前に建つ、祇園マーケットがある古い建物。


裏手にある、喫茶 ふじやのドアの横に貼られているステッカーの一つに注目。
福岡に残る昭和64年を巡る

福岡に残る昭和64年を巡る
「アジア太平洋博 昭和64年3月17日→9月3日」

後に親しまれることになる「よかトピア」のことです。
(参考までに→ 西新駅の壁に残る、よかトピアの大型宣伝広告)



計画が持ち上がったのが昭和時代ですから、ステッカーもその当時に作られたものであることがわかります。

経年劣化で剥がれかかってはいますが、完全に剥がさないで残っているところが、老舗の喫茶店らしくていいですね。
当時は、このステッカーが各所で見られていたのではないでしょうか。
平成に元号が改められて、貼りかえられていたのでしょうけどね。


以上、福岡に残る昭和64年でした。他にもあったら、機会があるときに紹介していこうと思います。



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Posted by けいたん at 10:00 │撮影名所めぐり地域情報