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2020年04月12日

アーカイブ~EF64と幻の“赤富士”~

今回もアーカイブをお送りします。

今回は、2003年、JR西日本の下関総合車両所の一般公開から。
EF64-9と寝台特急「富士」の“幻の赤富士”ヘッドマークです。


EF64は1964年から1982年にかけて製造された直流機関車。



そのなかでも9号機は一次量産車として1965年に川崎車両で製造されました。
新製当初は福島機関区に配属され、民営化時点では高崎機関区へ。そして、JR西日本へ渡り、2008年に解体されました。

2003年の下関総合車両所の公開では、綱引きの役目を果たしていました。



その9号機につけられていたのが、寝台特急「富士」で、幻の“赤富士”と呼ばれるヘッドマークでした。



1985年(昭和60年)3月ダイヤ改正にて、東京~下関間の牽引機がEF66に変更された際、これを機に「富士」のヘッドマークを円形から戦前の「富士」同様の山型のものに変更。
当初「葛飾北斎の赤富士」を模したデザインも検討され、運行を担当する下関運転所内で実際に製作まで行われたが、本採用には至らなかったという経緯がある。


幻の“赤富士”は次第にこうして過去のものに…
ヘッドマークが見られるのは、いまではイベントのときに限られている。
EF64に赤富士のヘッドマークは間違っていることになるんだけど、違った見方もできますね。

  


2018年03月23日

JR熊本駅完全高架化切替完了!懐かしの写真(#2)熊本駅前と市電のようす

JR熊本駅周辺の連続立体交差事業による熊本駅の高架化切り替え完了を記念して、懐かしの写真を取り上げる、単発連載企画。

今回は、熊本駅前と市電のようすです。

熊本駅前は、2011年の九州新幹線全線開業に合わせ、東口(白川口)の駅前広場が、今回の高架化に先立つように整備されました。


それ以前はどうだったか…といえば、これらを撮影した、2004~05年当時でさえ、「中心部から遠い」とも言われてきただけに、少し寂しかったですね。

熊本駅前はまだペデストリアンデッキがなかったんですね~。



そうそう、熊本駅は1968年改築で、民営化後に今のように改装されることになります。半世紀だったとは!

4階建てのようにみえて、3階建て。4階にあたる部分は壁だけのダミーです(笑)。


また、2010年には市電の線路の付け替えが行われ、駅前広場に乗り入れる形(と同時に、田崎橋電停まで同時整備)になりました。これによってスムーズに乗り換えができるようになりました。朝は長蛇の列…いまも昔も変わっていません。

それ以前の様子。



当時はまだ、旧来の路線番号でしたね。(しかし、方向幕の傾きはなおらないものか)

いまのようにA系統、B系統と分かりやすくなり、全区間均一運賃になったのも、九州新幹線の全線開業に合わせてからです

祇園橋方面を見る


市電のバックを見ても分かるように、当時はまだ古い建物が駅前には残っていました。  


2018年03月19日

JR熊本駅完全高架化切替完了!懐かしの写真(#1)煉瓦造りの機関庫

2018年3月17日、JR熊本駅周辺の連続立体交差事業により、熊本駅の在来線ホームが完全に高架線へ切り替えになりました。
工事期間中には、熊本地震などがあったものの、工期は予定通りにおわった感じですね。

今後は、表玄関だった3代目の駅ビル(東口/白川口)が解体されて、その跡地に、安藤忠雄氏が手掛ける新しい駅ビルが建てられます。2022年に完成する予定です。
ちなみにホーム上屋も、安藤忠雄氏によるもの…気づきませんでした。


今回は、熊本駅の少し懐かしい写真をシリーズで取り上げていこうとおもいます。

1回目は、煉瓦造りの機関庫。





煉瓦造りの機関庫があったのは、熊本駅西側、現在の九州新幹線の高架線のところでした。





当時、熊本駅の西側には、熊本鉄道事業部が置かれていて、留置線も何本もあり、車両の留置、整備もうけていました。

機関庫でもいろんな車両を見守ってきただけに、歴史的にも貴重なものと思えたのですが、2005年夏頃から、九州新幹線の工事で惜しくも解体されてしまいました。







どこかに移築して保存できなかったものか…。

しかし、この地に今も残っていたとしても、地震に耐えられたのかといえば、そうとも限らないでしょうけど。


南側には、熊本鉄道事業部の建物やそこに隣接した煙突、給水塔なんかもありました。こちらも懐かしいです。いまは駐車場とマンションになっています。





覚えている人は良いでしょうけど…
熊本駅に隣接して、煉瓦造りの機関庫があったんだよなんて言ったら、信じてくれるでしょうかね。  


2016年12月09日

2016年を振り返る(未公開分(#2)/熊本市電_夏目漱石記念年ラッピング)

2016年も残りわずか。今年もいろいろあった1年でした。
そこで、拙ブログでワケあって公開できなかったものを紹介できればと思います。

今回は、熊本市電の夏目漱石記念年ラッピング電車です。

今年といいますか今日は、夏目漱石の没後100年(1917年12月9日)を迎えます。

夏目漱石は1896年、旧制第五高等学校(現在の熊本大学)の英語教師として熊本に赴任し、4年間を暮らしたというのはあまりにも有名ですね。

あれから120年の歳月。夏目漱石が現在のJR上熊本駅に降り立ったの同じ月日である、4月13日に運行を開始したのが、このラッピング電車です。

熊本地震(前震)の前日からですが、車両に被害はなく、今年いっぱいまでの予定で運行されています。






ラッピングはどちらかというと、サーモンピンクに近い色合い。肖像写真などが使われいます。
中ドアには、「吾輩は猫である」・「坊っちゃん」・「草枕」・「二百十日」の4つの作品のタイトルが書かれています。

今年と来年は、夏目漱石の節目の年と重なるため、熊本でも様々なイベントが行われる予定…で進んでいるものと思われます。(実際、地震発生の前日にも行われていたみたいですが、地震の影響で、全国的にはあまり周知されていないのかも。)

撮影場所:河原町、熊本城・市役所前~通町筋にて。(いずれも、2016年5月に撮影)
  


2016年12月08日

2016年を振り返る(未公開分(#1)/震災前の熊本城ライトアップ)

2016年も残りわずか。今年もいろいろあった1年でした。
そこで、拙ブログでワケあって公開できなかったものを紹介できればと思います。

今回は、熊本地震前に撮影した、熊本城のライトアップです。

2月、引退を目前にしていた、熊本電気鉄道の5000系(青ガエル)を撮るべく熊本へ行ったとき、福岡へ帰る前に立ち寄っった熊本市役所14階の展望スペースからの撮影です。




大小の天守閣と本丸御殿がライトアップされています。

今思えば、併せて、昼間の熊本城をしっかり撮ればよかったものと、いまごろ後悔しています。せめて1泊くらいしてもよかったかもしれませんが。

外の寒さを忘れて、感動したのを覚えています。

地震発生時、NHKの定点カメラが捉えた熊本城は、思わず目を疑うばかりか、ショックでしかなかったですものね。

そして地震発生からしばらくは、ライトアップが中断されていましたが、さすがに寂しい印象もあってか、その後、再開されたみたいですね。ただ、それまでとは印象が違うのが残念なところです。(今の姿も早く撮りに行きたい…)

また震災前のような元の姿に戻るのは数年後……。(全体の復興完了は数十年も先…)
  


2016年09月07日

短命に終わった観光列車「あそ1962」

2005年8月に運行を終了した、SLあそBOYの後継として、2006年7月にデビューしたのが、今回紹介する「あそ1962」。
豊肥本線の熊本~宮地間を1日1往復運転。

キハ28・58の2両編成で、全車指定席で運行されていました。
車内はボックスシートになっていて、自転車が置けるスペースも確保されているのが特徴的だった。これは駅からそのまま阿蘇方面へサイクリング…という流れだろうか。

列車名のうち、“1962”とは、キハ58-139が1962年に製造されたことに由来する。

運行開始を目前に控えて博多駅で実施されたの展示会にて。





検査明けの出場。(過去記事から)



しかし、そう長くは続かず、2010年12月をもって運行が終了し、短命に終わった、あそ1962。
JR九州の観光列車のなかでは、地味な存在だったのかもしれない。

車両は今も、熊本車両センターに留置されているらしいですが、なにぶん……。

あそぼーい!の運行が開始されるのは、のちのちのことだ。  


Posted by けいたん at 10:00アーカイブ(プレイバック)撮影

2015年10月22日

キハ31形の座席にあった収納式テーブル

JR九州のキハ31形の座席には、東海道新幹線開業当時の0系に使用されていた転換クロスシートが採用されています。
これはキハ31形の製造が国鉄末期だったこともあり、製造費を削減していたこともあります。

新幹線で転換クロスシートだなんて、今おもえば馬鹿げたものです。
しかし、この転換クロスシートは、人間工学に基づいて設計されたもので、背もたれはちょうどい角度となっているのです。
キハ31形においても、そんなに疲れることはありません。




ということで、50年近く経ったいまでも、開業当時の形見が残っているということになります。
(0系は、2008年に山陽新幹線を最後に引退済。山陽新幹線で最後まで残っていたのは、30年くらい前に製造された編成がほとんど。)


今回取り上げるのは、2004年に撮影したものなので、10年近く前になりますが…
当時、肥薩線で運行されていたキハ31形。もちろん、転換クロスシート。

その転換クロスシートに、初期の0系の名残りともいえる収納式のテーブルが残されていました。
いまでこそテーブルは撤去されたり、鉄板で塞がれてしまっていますが、当時はまだテーブルを引き出して、実際に使うこともできました








今思えば、テーブルのサイズは小ぶりです。お弁当を乗せるくらいしかできないと思います。

次第にこうしたのがなくなっていくのですよね。寂しい限りです。
  


2015年10月14日

博多駅前にあった巨大な鈴はどこへ?

写真を撮る趣味をしていて、デジタル化してからは外付けHDDやDVD-Rなんかにバックアップを取ることをしているけど、これまで撮影した画像の整理、閲覧していると、懐かしいものが見つかることもしばしばある。

今回紹介するのは、2007年5月に撮影したもの。



昭和50年に土居流から寄贈されたという、巨大な鈴。
先代の三代目博多駅ビルの駅前広場にあったものだ。

この巨大な鈴は、博多駅の改築工事に伴い、その後撤去された。

撤去当時、この巨大な鈴はJR九州が管理しており、撤去されたあと保管するといわれていたが、撤去されてから今まで、少なくとも現駅ビル(JR博多シティ)の完成して以降、記憶が正しければ、見かけたことがない。



駅前広場の整備後にふたたび置かれるかと思ったのだが……果たして、どこへ行ったのだろう。
博多駅近くのJR九州の本社に保管されているならばいいが。(^^;
  


Posted by けいたん at 10:00アーカイブ(プレイバック)撮影

2011年07月22日

昨年の今頃…

ネタ調整のため、昨年の今頃の写真をアップします。
昨年は大雨でいろいろあった、梅雨でしたね。><


昨年の7月15日は、追い山を撮影したあと、博多駅に行って撮り鉄していました。^^


1枚目は、鹿児島本線。
6:32発の熊本行きの運用に入る、415系国鉄色編成。



2010年のダイヤ改正で南福岡電車区に所属する415系は、本来、この運用に入らないようになっていたと思います。
大雨によって、運用のやりくりが狂った結果で、代走だったかと…。



2、3枚目は、福北ゆたか線。
臨時の幕に、桂川行きの幕…。




たしか飯塚あたりで線路近くで土砂崩れがあってその区間が不通になり、博多からは桂川までしか走らなかった頃だったかと。



そんな感じで、撮り鉄していました。^^
そういえば今年は、追い山撮影後、中洲流を追ったりしていますし、実は今月、まだ撮り鉄すらしていないのです。そろそろ鉄分補給したいところです。  


Posted by けいたん at 08:30アーカイブ(プレイバック)

2011年06月26日

787系と車掌さん

先週19日で九州新幹線開業から100日を迎えましたが、何はともあれ、利用客数が順調であるみたいでよかったですね。

ただ、個人的には、大雨のときに運転見合わせが頻繁にあるのはどうかなと思っていたりします。地盤が弱いのかどうか…。



以下、2枚はいずれも2008年1月に撮影した一コマです。




(新八代にて)

1枚目は、在来線と新幹線の対面式乗り換えとして機能していたときの、新八代駅に乗り入れていた頃の特急リレーつばめ号。

運転士さんかなと思っていましたが、ジャケットの左の腕章で車掌さんと判明。(^^;)
折り返しまでの時間に、なにやら準備されていますね。




(熊本駅にて)

2枚目は、同日に熊本駅で撮影した、特急有明号に乗務し、扉を開ける車掌さんの姿。

赤い有明ロゴも懐かしいですねぇ。(^^;)



撮影したあと、外付けHDDなど外部メディアに保存しておいた過去の画像たち。
下手なのも含まれてはいますが、そのときにあったことをいま振り返ると、撮影していてよかったなと思えるものにも出会えますね。

この2枚の画像もそうで、新八代駅では787系が見れなくなり、熊本駅でも日中は、博多方面からの特急の設定がなくなり、どちらも物寂しいですが、いい思い出として刻まれることでしょう。  


Posted by けいたん at 09:00アーカイブ(プレイバック)

2010年05月24日

ダイハツ・ミゼット

ミゼット (Midget) とは、ダイハツ工業が生産していた三輪自動車である。Midgetは英語で「超小型のもの」という意味の単語で、小型、チビな車という想いを込めて名付けられた。(Wikipediaより)



写真は、2006年に福岡市中央区大手門の材木店で偶然に見つけた、ミゼットです。  


Posted by けいたん at 20:45アーカイブ(プレイバック)

2010年03月12日

3代目博多駅ビルの…

JRグループのダイヤ改正前日なので、久しぶりに鉄道ネタを紹介します。

来年の今頃は、九州新幹線が博多まで延伸して全線開業して、山陽新幹線との直通運転が行われます。
建設中の4代目の博多駅ビルの外観もだいぶ出来上がってきましたね。もちろん写真に撮影していますが、さすがに毎日利用しているわけではないので、追いつかないときがあります…。><
ま、いずれはまとめて紹介できればと思います。


さて、3代目駅ビルは2007年に、井筒屋が閉店になってから解体されましたが、その駅ビルには、正式な「駅本屋」として表記されたプレートがあったことは、設置された場所があまりにも目立たないところにあったためか、あまり知られていなかったと思います。



プレートをよくみると、4代目建設にも関わっている清水建設の名前が…。着工から竣工まで、1年半かかっているんですね。
もっとも、現在地へ移転に際して、線路付け替えも行われたので、倍近くかかっているかと…。


プレートがあったのは、駅ビル北側で、撮影したのは2007年5月になります。
その後に、そこにも防音柵がたてられたので、この日が最後の確認となりました。  


Posted by けいたん at 01:28アーカイブ(プレイバック)

2009年05月17日

アーカイブ〜2007/5/9 〜

2007年5月9日というのは、自分にとって記念すべき日です。

というのも、この日撮影した写真が、レイルマガジン2007年8月号の当時の『新世紀カレンダー』(現在『今日の一枚』)に掲載されたからです。これが記念すべき雑誌掲載デビューとなります。


掲載された写真が、これ。博多駅で撮影しました。


左が415系国鉄色編成で、右が、いまはなき寝台特急はやぶさ号。はやぶさ号の発車が若干遅れたから、偶然にも撮れた並びです。

この後日、博多駅では列車の発着ホームの変更が行われ、再びこの並びを見ることはできなくなりました。
そして、今年3月のダイヤ改正で、九州の寝台特急は姿を消し、過去のものとなりました。
  


Posted by けいたん at 17:08アーカイブ(プレイバック)

2009年04月29日

200系新幹線

アーカイブ特集、今回は200系新幹線を取り上げていきます。

東北新幹線といえば、0系とは違い200系という形式の車両が開業当時から運転されています。
2004年に東京に行った際には、0系タイプと100系タイプ(シャークノーズ形)の2種類(ともに原型)を見ることが出来たものです。
原型から改造されている編成もありますが、いま現在、原型が見れなくなったのは時代の流れとはいえど、仕方ありません。


↓0系タイプ(東京駅)

下の形式番号(222-1516)からして、F19編成のようです。この編成は2007年3月で引退となりました。


↓100系タイプ(東京駅)

F8編成。こちらは2006年5月に引退となったそうですね。100系タイプとしては最後まで残っていたということです。  


Posted by けいたん at 01:02アーカイブ(プレイバック)

2009年04月14日

583系急行きたぐに号

ネタ切れによるアーカイブ、二夜連続です。

いまや寝台列車は風前の灯ではありますが、かつて、昼は座席として、夜は寝台としての活躍をしていたのが、583系です。
583系はいまでは、大阪~新潟間で運行されている急行きたぐに号が唯一の定期列車となっています。

これも、新幹線関連でどうなるのかが気になるところです。


2006年の夏、大阪行った際(このときはネットカフェを連日利用しました。)、このきたぐに号の撮影するために、ムーンライト九州号の指定券は、あえて一歩手前の大阪にしました。(定刻だと、大阪~新大阪間ですれ違うため。)



色は違えど、この大きさといい、風格といい、国鉄型はやっぱりかっこいいですね。




(高槻(島本)~山崎間 サントリーカーブにて。↑の京都総までの回送です。)
※金網が設置されたいまでは、ここで撮影することは困難になりました。  


Posted by けいたん at 02:54アーカイブ(プレイバック)

2009年04月13日

489系ボンネット

前回の日記にも書きましたが、現在ネタ切れなので、今日はちょっと懐かしい写真をお送りしたいと思います。

2006~2007年の年末年始は、大阪の親戚宅にお世話になりました。
ちなみに、12月31日~1月1日のカウントダウンは、ムーンライト九州号の中でした。^^

大阪の親戚宅は、南海高野線沿線ということもあり、3日に、箱根駅伝を見ず、高野線で高野山まで行ってきました。
例年は積雪もあるところなのですが、この年は暖冬で雪がありませんでした。(それでも寒かったような。)

最終日4日は、京都の観光バスで、金閣寺や清水寺など京都の名所を回りました。予約していませんでしたが、補助席(通常料金よりも若干安い^^)なら空いているとのことで乗車することが出来ました。

観光も無事に終わり、夜、大阪駅で親戚とお別れしました。

この日は、新潟からのふるさと雷鳥号が489系(能登号で使用されているボンネット車)運転されているのを、事前に入手していましたから、wktkしながら待っていました。

21時前、タイフォンを鳴らして、3番乗り場に入線。向かいの環状線2番乗り場から撮影しました。


同型のボンネット車は、九州鉄道記念館(481系)にも展示されていますが、こうして営業運転に就いているのを撮影したのは、初めてでした。


(いずれも、コンデジで撮影)
しっかし、でっかいな~。


北陸新幹線の開通となれば、この車輛も危ぶまれるだけに、記録したいのが山々ですけど、九州からはどうしてもそう簡単にいけませんものね。  


Posted by けいたん at 03:01アーカイブ(プレイバック)