2017年03月15日
赤坂門市場の近況(20170314)
昨年9月末で閉鎖された、赤坂門市場。
その直後から、立ち入れないように封鎖されていましたが、建物には心ない落書きがあり、あまりいい印象を受けませんでした。
そして最近、下部がシートで覆われるようになりました。もうじきあろう解体の前提でしょうね。

さらに、目の前にあった「赤坂門市場前」交差点の名称も、気づけば、「赤坂1丁目」に変更されていました。うーんと首を傾げそうになりましたが、ふさわしい名称はないものですね。

今後の動きに注視しておきたいものです。
その直後から、立ち入れないように封鎖されていましたが、建物には心ない落書きがあり、あまりいい印象を受けませんでした。
そして最近、下部がシートで覆われるようになりました。もうじきあろう解体の前提でしょうね。

さらに、目の前にあった「赤坂門市場前」交差点の名称も、気づけば、「赤坂1丁目」に変更されていました。うーんと首を傾げそうになりましたが、ふさわしい名称はないものですね。

今後の動きに注視しておきたいものです。
2016年04月09日
赤坂門市場が今秋取り壊しに #福岡
福岡市中央区にある、赤坂門市場。
ビルの合間にポツンと残された、戦後から続く古い市場ですが、以前からいろいろ噂されていましたが、今秋取り壊しが決まったようです。
赤坂門市場、取り壊しへ 68年の歴史に今秋幕 福岡市 [福岡県]*
戦後間もない1948年に開設され、庶民的な雰囲気で市民に親しまれてきた福岡市中央区の赤坂門市場が今秋にも取り壊されることになった。2005年の福岡沖地震で建物が傾き危険なため、地権者が閉鎖に向け店舗側と交渉していた。庶民の胃袋を満たし、暮らしを支えてきた市場が68年の歴史に幕を閉じる。
市場は同市の実業家が所有地に廃材などを集めて建てたとされる。市中心部のビル街に木造2階建ての長屋が並び、軒下の約50メートルがアーケードになっている。関係者によると、現在営業中の3店は9月末までに退去、跡地の利用法は決まっていないという。
最盛期の60年代には生鮮食料品店や日用雑貨店、美容院や喫茶店など約25店が軒を連ねた。近くに大型スーパーなどができ、にぎわいは薄れたが、飲食店を中心に常連客に支えられバブル期も再開発を逃れた。50年以上続けた青果店を昨年末に畳んだ今林満さん(75)は「時代の流れやろうけん仕方なかろうけど、寂しかね」と惜しむ。
=2016/04/08付 西日本新聞朝刊=
時代とその経年による建物の老朽化には勝てず、といったところですね。
たしかに、大正通り側(『赤坂門市場前』交差点名も変わってしまうかも。)は目視でも傾いているというのがわかりますし、いざ、足を踏み入れると、昭和にタイムスリップしてしまいますが、あちこち修復もままならないほどの荒れ果てた光景が広がっています。その修復も行われることなく、なくなってしまうのは…。
かつて市場内にあった、福岡の老舗お好み焼き屋である「ふきや」は数少ない直営でした。従業員不足といって休業したまま(事実上の閉店)ですが、実際は、老朽化でしょうね。真意は聞けていませんが、間違いないとおもいます。
赤坂門市場の名前の由来になったのは、市場の西側、かつては福岡城の外堀が広がり、近くに赤坂門があったことから。赤坂門は福岡城に踏み入れるというより、用心棒的な門に近いだろうか。
ちなみに、九電変電所のところに赤坂門跡を解説した石碑があります。大正通りと明治通りが交差する交差点名は、あくまで『赤坂』。


福岡市民として言わせてもらえば、福岡における赤坂というのは、赤坂門市場を中心とした一帯を指すことが多く、けやき通り沿いとはまた違うんですよね。
交通量が絶えない通りにあっても、古ぼけた外観が目立つので、ちょっとした待ち合わせにもよかったりします。(そんな人いるかどうか…w)




跡地活用が決まっていないものの、まずは、赤坂門の近くにあったこともあり、福岡城関連の文化財調査(発掘調査)くらいはさすがに行われるのではないかなとも予想しています。遺構が見つかっても、だいぶやられているかもしれませんけどね。
前述通り、九電変電所や近くのマンションの建設前には、赤坂門跡の遺構が見つかったりしています。
同じ中央区内では、以前も拙ブログで紹介した天神の福神ビル、近くの少年科学文化会館やヤフオクドームに隣接したホークスタウンモールもそれぞれ3月末に閉館になるなど、更なる再開発も進んでいます。
常々、福岡はモノを大事にする文化がいまいち浸透していないのです。とはいっても、赤坂門市場のようなところは、今後、地震などの災害による倒壊するなど、危険リスクは高く、避けられようがありませんから、やむなしですけどね。
とにもかくにも、最後の日まで見届けましょう。(^-^)
外観の写真は2015年2月、市場内の写真は2016年4月撮影。
ビルの合間にポツンと残された、戦後から続く古い市場ですが、以前からいろいろ噂されていましたが、今秋取り壊しが決まったようです。

赤坂門市場、取り壊しへ 68年の歴史に今秋幕 福岡市 [福岡県]*
戦後間もない1948年に開設され、庶民的な雰囲気で市民に親しまれてきた福岡市中央区の赤坂門市場が今秋にも取り壊されることになった。2005年の福岡沖地震で建物が傾き危険なため、地権者が閉鎖に向け店舗側と交渉していた。庶民の胃袋を満たし、暮らしを支えてきた市場が68年の歴史に幕を閉じる。
市場は同市の実業家が所有地に廃材などを集めて建てたとされる。市中心部のビル街に木造2階建ての長屋が並び、軒下の約50メートルがアーケードになっている。関係者によると、現在営業中の3店は9月末までに退去、跡地の利用法は決まっていないという。
最盛期の60年代には生鮮食料品店や日用雑貨店、美容院や喫茶店など約25店が軒を連ねた。近くに大型スーパーなどができ、にぎわいは薄れたが、飲食店を中心に常連客に支えられバブル期も再開発を逃れた。50年以上続けた青果店を昨年末に畳んだ今林満さん(75)は「時代の流れやろうけん仕方なかろうけど、寂しかね」と惜しむ。
=2016/04/08付 西日本新聞朝刊=
時代とその経年による建物の老朽化には勝てず、といったところですね。
たしかに、大正通り側(『赤坂門市場前』交差点名も変わってしまうかも。)は目視でも傾いているというのがわかりますし、いざ、足を踏み入れると、昭和にタイムスリップしてしまいますが、あちこち修復もままならないほどの荒れ果てた光景が広がっています。その修復も行われることなく、なくなってしまうのは…。
かつて市場内にあった、福岡の老舗お好み焼き屋である「ふきや」は数少ない直営でした。従業員不足といって休業したまま(事実上の閉店)ですが、実際は、老朽化でしょうね。真意は聞けていませんが、間違いないとおもいます。
赤坂門市場の名前の由来になったのは、市場の西側、かつては福岡城の外堀が広がり、近くに赤坂門があったことから。赤坂門は福岡城に踏み入れるというより、用心棒的な門に近いだろうか。
ちなみに、九電変電所のところに赤坂門跡を解説した石碑があります。大正通りと明治通りが交差する交差点名は、あくまで『赤坂』。


福岡市民として言わせてもらえば、福岡における赤坂というのは、赤坂門市場を中心とした一帯を指すことが多く、けやき通り沿いとはまた違うんですよね。
交通量が絶えない通りにあっても、古ぼけた外観が目立つので、ちょっとした待ち合わせにもよかったりします。(そんな人いるかどうか…w)




跡地活用が決まっていないものの、まずは、赤坂門の近くにあったこともあり、福岡城関連の文化財調査(発掘調査)くらいはさすがに行われるのではないかなとも予想しています。遺構が見つかっても、だいぶやられているかもしれませんけどね。
前述通り、九電変電所や近くのマンションの建設前には、赤坂門跡の遺構が見つかったりしています。
同じ中央区内では、以前も拙ブログで紹介した天神の福神ビル、近くの少年科学文化会館やヤフオクドームに隣接したホークスタウンモールもそれぞれ3月末に閉館になるなど、更なる再開発も進んでいます。
常々、福岡はモノを大事にする文化がいまいち浸透していないのです。とはいっても、赤坂門市場のようなところは、今後、地震などの災害による倒壊するなど、危険リスクは高く、避けられようがありませんから、やむなしですけどね。
とにもかくにも、最後の日まで見届けましょう。(^-^)
外観の写真は2015年2月、市場内の写真は2016年4月撮影。
2011年05月01日
初夏のけやき通り

新緑が鮮やかな、初夏のけやき通り。
ほんとうに気持ち良い、過ごしやすい陽気になりました。
耐えることのない車の量ですが、たまには通りを歩いて、その気持ち良い風を体に受けてみるのもいいかも。
沿道のお店に足を運んでみれば、心も落ち着けます。
