2013年01月09日

松原水

今日は、博多区の東公園にある『松原水(まつばらみず)』について。

松原水


以下、案内板より。


松原水について

明治初期、まだ井戸水を利用していたころ、 博多部の井戸は水質に恵まれず、そのため飲料水は当時の那珂郡千代村一帯(現在の博多区千代付近)に続く松林(千代松原)の砂地から汲む井戸水を運んでまかなわれていた。これも次 第に建て込む人家の家庭汚水で利用できなくなってきた。
そこで明治二九(一八九六)年 福岡市は、飲料水確保のため千代村堅粕(現在の博多区東公 園)の東公園内の国有地約一アールを年間一円八銭で借り受け、工費五〇円で市設の井戸を掘った。これが「松原水」の起こりである。
明治三四(一九〇一)年には、福岡市による 「市設井戸取締規程」が定められている。井戸には看守を置く事、汲む者は給水許可証を携帯すること、料金は一石(一八〇リットル)に十銭宛などと細かく規定して本格的に管理された 。
このようにして、業者も水桶一二個積んだ大八車をガラガラ引いて、戸別に配達したため、 上水道通水(大正一二年)まで、松原水売りは 博多の風物詩であった。
なお、明治三三(一九〇〇)年 皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)が来福の際、飲料水として使われ、記念の石碑が傍に建っている。

福岡市



▼嘉仁親王が来福された際に建てられた石碑

松原水

松原水


小学生の頃、社会科で松原水について少しだけ触れたことがあったような気がします。(^^;

福岡の水道の起こり。上水道が整備されたりいろいろな衛生面からも、井戸はなくなっていくわけですが、こうして市民が利用してきたものを残しているってだけでも貴重。

福岡市は、昔も今も、水資源に恵まれた都市ではないのですよね。

福岡市にはじめてできたダムである曲渕ダムは、松原水ののあとに完成します。
曲渕ダムができたあとも、人口の急増で、市外に建設されたダムや筑後川から取水していたりで頼っているのが現実です。

福岡城跡(舞鶴公園)にも数ヵ所、同じような井戸が残されていて、いまでも水が蓄えられているといわれています。


生活で一番欠かせない水。
これからも節水に心がけていきたいですね。(・ω・)



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Posted by けいたん at 10:00 │名所めぐり