2014年01月15日
志免鉱業所竪坑櫓と志免鉄道記念公園
せっかく中の坪公園でSLをみたのだから、歩いてすぐそばの志免鉱業所竪坑櫓と志免鉄道記念公園まで足を伸ばしました。
志免鉱業所竪坑櫓は、日本海軍が1943年に完成させたもの。
高さ53.6メートルで、設計者は第四海軍燃料廠長の猪俣昇とのこと。
戦中真っ只中でありながら、鉄筋コンクリート造で建設されて「東洋一の竪坑」などと呼ばれてきました。
志免炭鉱の閉山は、1964年。
いまでこそ、志免町のシンボル的存在ですが、その歴史を紐解くと、すごいですね。


ボタ山も残されていますね。
2009年には国の重要文化財にも指定されていて、周囲は、金網でおおわれています。
それでも周辺から360度見渡せるから、カッコイイものですね。
午前中は、隣接する公園の滑り台のてっぺんから見るのもおすすめです。3枚目の写真。(^^)

現在は、現状のまま保存されている状況にあり、内部は一切立ち入ることさえできません。
恐らく、許可も下りないでしょうね。閉山から50年といっても、たぶんないかも。。
貴重な近代産業遺産ですから、見届けるしかないかも。
しかし、何度か来たことがありますが、大人になって振りかえると、また違って見えますね。
志免鉄道記念公園は、旧国鉄の勝田線の志免駅跡地一帯を整備してつくられた公園です。
ホームと線路、腕木式信号などが残されています。

駅名標はモニュメント…

とはいっても、道路で分断されていたり、現状のままではなかったりです。
福岡空港から近いとはいえ、東平尾公園あたりの山が遮っていうこともあり、静かなところです。近場でありながら、不思議なところですね。
志免鉱業所竪坑櫓は、日本海軍が1943年に完成させたもの。
高さ53.6メートルで、設計者は第四海軍燃料廠長の猪俣昇とのこと。
戦中真っ只中でありながら、鉄筋コンクリート造で建設されて「東洋一の竪坑」などと呼ばれてきました。
志免炭鉱の閉山は、1964年。
いまでこそ、志免町のシンボル的存在ですが、その歴史を紐解くと、すごいですね。


ボタ山も残されていますね。
2009年には国の重要文化財にも指定されていて、周囲は、金網でおおわれています。
それでも周辺から360度見渡せるから、カッコイイものですね。
午前中は、隣接する公園の滑り台のてっぺんから見るのもおすすめです。3枚目の写真。(^^)

現在は、現状のまま保存されている状況にあり、内部は一切立ち入ることさえできません。
恐らく、許可も下りないでしょうね。閉山から50年といっても、たぶんないかも。。
貴重な近代産業遺産ですから、見届けるしかないかも。
しかし、何度か来たことがありますが、大人になって振りかえると、また違って見えますね。
志免鉄道記念公園は、旧国鉄の勝田線の志免駅跡地一帯を整備してつくられた公園です。
ホームと線路、腕木式信号などが残されています。

駅名標はモニュメント…

とはいっても、道路で分断されていたり、現状のままではなかったりです。
福岡空港から近いとはいえ、東平尾公園あたりの山が遮っていうこともあり、静かなところです。近場でありながら、不思議なところですね。
Posted by けいたん at 09:00
│史跡・遺産関連