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2017年05月13日

ユネスコ無形文化遺産登録記念イベントで九州5大祭りが集う!(#1)5大祭りの紹介

昨年12月、全国33件の山・鉾・屋台行事がユネスコ無形文化遺産に登録されました。
九州からは博多祇園山笠行事をはじめとする5つの祭りが登録されました。

これを記念したイベントが、5月13日と14日の2日間、福岡市役所周辺で行われています。

このイベントでは、博多祇園山笠行事、戸畑祇園大山笠行事、唐津くんちの曳山行事、日田祇園の曳山行事、八代妙見祭の神幸行事の5つの祭りが、両日(13日は18時~20時、14日は13時~15時)、福岡市役所の周辺道路を特別巡行します。

それに先立ち、5つの山・鉾・屋台が展示されていますので、先走りで紹介しようと思います。(^^)


⬛ 博多祇園山笠行事(福岡県福岡市)
博多祇園山笠は、高さ十数メートルもの華麗な飾り山笠と、勇壮な七つの舁き山笠とで構成され、祭りの前半は「静」の飾り山笠が街を彩り、後半は「動」の昇き山笠が博多の街に活気をもたらします。「飾り山笠」と「昇き山笠」の二つの顔を持つ山笠は、明治中期まで高い山笠を舁いていました。しかし、''文明開化"により電線類が張られ、山笠はその形態を変えざるを得なくなったため、昔ながらの高い山笠はそのまま飾り、舁くときだけ別の飾り物を取り付けるなど工夫しながら伝統が守られてきました。
祭りの後半に差し掛かる10日からいよいよ舁き山笠が動き出します。一流あたり約500~700人もの締め込み、水法被姿の男たちが、「オイッサ」「オイッサ」の掛け声とともに、高さ4.5メートル、重さ1トンもの山笠を走りながら交代し、博多の街を駆け巡ります。
七つの昇き山笠が集まる主要行事は、12日の「追い山ならし」、13日「集団山見せ」、15日の「追い山」3回。クライマックスの追い山笠では、沿道には多くの見物客が訪れ、勇壮な山笠と山笠を担ぐ男たちの真剣な眼差しに心を奪われ、見ている人も高揚感に包まれます。

舁き山の表題は『継承一筋博多心』。人形師は溝口童央さん。

いつもの舁き山より少し高い、約6.5メートルの舁き山とのこと。



⬛ 戸畑祇園大山笠行事(福岡県北九州市)
戸畑祇園大山笠は昼と夜とでその姿を大きく変えます。昼は山笠本来の姿と言われる幟山笠で、高さ1.8メートルの台上に約2メートル四方の勾欄付の台座を据え、紅白の羅紗地に黒ビロードの株取りのある12本の幟を立てます。正面に作り物の菊花を、後部には鷲や虎が刺繍されk直径1.5メートルほどの「見送り」を取り付けます。四つの大山笠は初日、中日の昼、各地区で巡行した後、夕方には「戸畑祇園大山笠競演会」に繰り出します。あたりが薄暗くなるころ、幟山笠の飾りものが外され、あっと言う間に12段、309個の提灯に彩られた提灯山笠に。
この時、5段57個の提灯をつけた角錐形の先端を一気に担ぎ上げることを「五段上げ」と呼び、続いて6段目、7段目と順次12段目まで組み上げます。その速さは各山笠の自慢でもあるのです。提灯大山笠は高さ約10メートル、重さ2.5トン。約80人のかきこ(担ぎ手)が棒を肩で支え、「ヨイトサ」「ヨイトサ」の掛け声でバランスを取りながら歩調を合わせて進みます。闇夜に輝く提灯山笠は"先のピラミッド''とも呼ばれます。

天籟寺大山笠が参加です




⬛ 唐津くんちの曳山行事(佐賀県唐津市)
唐津くんちは唐津神社の秋祭りに氏子が奉納する行事です。鐘、笛、太鼓で奏でられる囃子や曳子の「エンヤ」「ヨイサ」の掛け声に乗って14台の曳山が勇壮に旧城下町を巡行します。
2日宵ヤマでは、提灯に照らされ幻想的に浮かび上がった曳山が、唐津くんちのはじまりを祝うかのように旧城下町を巡行します。3日御旅所神幸では、御旅所がある西の浜へ御神輿のお供をして向かいます。御旅所明神合は浜の中にあるため、町中の巡行とは異なり、砂地の中に曳山を曳き込みます。4日翌日祭では、御神典がでない曳山のみの巡行になりますが、曳子は最終日を思う存分楽しみます。
曳山は、和紙を幾重にも張り重ねて麻布と漆で形を整え、金箔で仕上げた巨大な漆の美術工芸品でもあります。

十一番曳山 米屋組 『酒呑童子と源頼光の兜』




⬛ 日田祇園の曳山行事(大分県日田市)
300年以上の歴史がある日田紙園祭は、隈八坂神社・竹田若宮神社・豆田八阪神社の三社で行われる祭礼行事で隈・竹田地区、豆田地区の2か所で開催されます。
祇園祭で、曳きだされる山鉾は9基あり、歌舞伎や人形浄瑠璃の一場面を華題とした絢爛豪華な飾りが特徴です。祭りは、男衆の「オイサッ!」「ワッショイ」と勇ましい掛け声とともに、10メートル級の山鉾が町中を巡行し、その熱気と迫力は見るものを圧倒します。夜は、すべての山鉾に提灯が取り付けられ、昼間の山鉾と一味違う荘厳な姿を見ることができます。祇園祭のクライマックスは、日曜日の夜に行われる豆田地区での「駆け上がり」、隈・竹田地区での札ノ辻入り]で祭りは最高潮に達します。
~遠くから紙園雌子の音色が聞こえてきた。本格的な夏は日田祇園と共にやってくる~

平成山鉾『一谷軍嫩軍記』。




⬛ 八代妙見祭の神幸行事(熊本県八代市)
八代妙見祭は、八代神社(妙見宮)の社の大祭です。約380年の歴史があり、町人文化が花開いた元禄の頃(17世紀終わり)には、八代城下の町々から笠鉾や獅子舞、亀蛇など連向を凝らし贅を尽くした出し物が奉納されるようになり、次第に豪華になっていきました。
当時の祭りの様子が江戸時代(19世紀初頭)の絵巻物に描かれており、現在の神幸行列はそれを忠実に再現しています。行列には40もの出し物が参加し、約1.700人が6キロの道のりを練り歩きます。静々と荘厳な雰囲気の中進む行列とは対照的に獅子や亀蛇、飾馬など勇壮に披露される演舞、町人文化と武家文化が融合した細爛豪華な神幸行列は現代に甦る時代絵巻です。
各町内から奉納される笠鉾は全部で9基あります。傘のような構造で、欄間や水引幕などの飾りは中央の1本の柱によって支えられており、200~300個の部材を釘を全く使わずに組み立てます。笠鉾の形はひとつひとつ異なり、子孫繁栄や商売繁盛などそれぞれにおめでたい意味が込められており、簡素な傘型から次第に豪華さを競い複雑になったと考えられています。高さは5m近くあり台事に載せて曳き回したり、担いで練り歩いなりします。笠鉾は祭りにあわせ毎年組み立て、祭りが終わると解体します。これを200年以上繰り返し、修理を重ねながら今に受け継がれています。

笠鉾『蜜柑』 (第1番・宮之町笠鉾菊慈童保存会)


笠鉾『菊慈童』(第6番・中島町笠鉾蜜柑保存会)


『亀蛇』



昨日の昼間(各祭りでは飾り付けなど準備段階)は、土砂降りになるほどの大雨で心配しましたが、今日は一転して天気は回復して、晴れています。
2日間限定で一堂に見れるわけですし、盛り上がるといいですね。(^^)