2015年12月24日

筑豊を行く(#5)芳雄橋



遠賀川と穂波川をまたぐ「芳雄橋」は、現在2代目。

旧芳雄橋は、設計は山本宇兵衛で、昭和3年、わが国の鉄筋コンクリート橋の草創期に架けられました。
しかし、平成15年の未曾有の豪雨水害で河川が氾濫して、周囲が洪水に見舞われ、これを契機に、芳雄橋の架け替え計画が進みました。
その後、平成18年3月に閉橋式が行われ、新しい芳雄橋は、平成20年11月に完成。意匠は旧芳雄橋と似たものとなっています。

芳雄橋東交差点の前には、旧芳雄橋の親柱を活用したモニュメントがあります。


左側の親柱には旧芳雄橋の説明のプレートが埋め込まれています。



旧・芳雄橋について

設計・工事責任者 山本宇兵衛氏(1891~1985)による旧芳雄橋の竣工は、
わが国の“鉄筋コンクリート橋”草創期の1928年。
特徴は、中央部のバルコニー、凝ったデザインのランプポール、橋たもとの手洗い水道設備など九州でも先進的な鉄筋モダン橋として、高い評価を集めた。
その後、永年遠賀川の変遷を見守りながら、2006年3月21日の閉橋式で、市民の感謝と惜別中に78年間のつとめを終える。

飯塚文化協会



説明にある特徴…
中央部にバルコニーがあり、凝ったデザインのランプポール、さらには橋の袂に水道がついた手洗い設備まで完備。
恐るべし、炭鉱町を見守ってきた橋。




ちなみに、福岡市東区の多々良川に架かる名島橋の完成は、旧芳雄橋の完成から数年後の1933年です。

名島橋のようにいまも残っていれば、土木遺産として高く評価されていたに違いないです。(名島橋は認定済)

何気なしに通り過ぎてしまうところにも、こうした歴史があると、ますます、深く調べてみたくなるものです。
  


Posted by けいたん at 10:00撮影飯塚

2015年12月23日

筑豊を行く(#4)宿場町・飯塚の名残をみつける(1)

飯塚は江戸時代、長崎街道の宿場町(飯塚宿)として栄えてきました。
しかし、宝永7(1710)年と宝暦9(1795)年に大火に見舞われ、現在は宿場町の面影をとどめていません。
そこで、飯塚文化連合会によって、石碑が建てられています。

今回はそのなかから、麻生大浦荘と嘉穂劇場に行った日に見つけた、3箇所の石碑をまとめて紹介しようとおもいます。

解説は、飯塚観光協会のサイトによる情報を引用させていただきました。
住所については、Googleマップをもとに調べています。

東構口跡 (ひがしかまえぐちあと)

東構口跡石碑は本町入口の前角に建っています。博多往還の南側に構口はあり、現石碑の対面に位置していました。飯塚宿の場合、構口はかつては北・南の呼称を使用していましたが、現在は東・西構口と呼んでいます。

(飯塚市宮町。本町入口交差点そば。※寶月樓跡の石碑が右奥に見えています。なお、観光協会の解説でローソンの名前が出てきたのですがすでに閉店済みにつき、その点は削除。)

寶月樓跡 (ほうげつろうあと)

嚢祖八幡宮鳥居前に帯屋の古川直道の別荘「寶月樓」がありました。寶月樓は前は通行盛んな街道に面し、裏は飯塚川の清流を臨み、東に関の山・英彦山、北に福智の山並みが遠望できる大変風情のある優雅な建物でした。飯塚の文人墨客がここに集い、特に歌人たちは時代を先取りする精神が旺盛で、のちに日本の近代短歌の開拓者として高く評価されるようになる博多の大隈言道を飯塚に招き教えを受けました。大隈言道は嘉永2年(1849)から安政5年(1858)までの10年間、飯塚の門弟の指導を行い歌学の研究に没頭しました。

(飯塚市宮町。※東構口跡の石碑の数十m先にあります。)

住吉宮跡 (すみよしぐうあと)

飯塚宿は陸路の要衝のみならず、ヒラタ船の上下する運河の重要拠点でもありました。寛政7年(1795)市橋小太夫が夢のお告げで石像神体を川底から引き上げ、水神として祭ったと伝えられています。飯塚川に接するこの付近は船頭町で、住吉神社を祭り水路の安全が祈願されました。住吉宮はその後嚢祖八幡宮に合祠されました。境内に植えられた銀杏の大樹は、シメ縄を張り御神木として保護されていましたが、昭和38年飯塚市役所が移転し飯塚郵便局が建設されるに及びその姿を消しました。

(飯塚市本町。飯塚郵便局前)

寶月樓で出てきた大隈言道は、現在の福岡市中央区今泉付近の生まれ。今泉公園のところにはかつてささのや園があり、彼の墓所は香正寺にあります。
どうやって飯塚まで行き来されていたのか、個人的に気になるところです。(山家(冷水峠)経由だとしたら遠回りで…)
  


Posted by けいたん at 10:00撮影史跡・遺産関連飯塚

2015年12月05日

筑豊を行く(#3)忠隈ボタ山





炭鉱町として発展してきた飯塚ですが、その時代の面影を残す数少ないものが、旧住友忠隈炭鉱のボタ山です。別名「筑豊富士」とも呼ばれ地域のシンボルとして残っています。

高さ141メートル、敷地面積22.4ヘクタールの、現存する平地ピラミッド型ボタ山としては日本最大級を誇ります。

「ボタ」とは、九州地方の炭坑で使われた言葉で、選炭し後に残る石や質の悪い石炭のこと。
それらを半世紀近く積み上げて出来たこの山は、10トントラック70万台分の量が現在3連の山として残っています。

全盛期には、不夜城のように照明が灯り稜線が日に日に高くなるのが見られたそうです。

市街地そば、遠賀川と穂波川に架かる芳雄橋からも見ることができる、ボタ山。
地元民からすればシンボルであり、よそ者からみれば、飯塚に来た!と思える瞬間ですね。
  


Posted by けいたん at 10:00撮影飯塚

2015年12月03日

筑豊を行く(#2_3)嘉穂劇場(楽屋部屋編)

嘉穂劇場編その3です。

今回、11月30日までの期間限定で、楽屋が特別に公開されました。通常は非公開だそう。パンフレットには当然、載っていません。
実は、これ目当てで行ったようなもののです…はい。(^^)

その楽屋は、舞台の後方の奈落のそばに、3部屋用意されています。



1号楽屋。主役の方が利用されます。シンプルですね。孤独好きにはいいかもですね。





2号楽屋。衣装部屋です。
故・中村勘三郎さんが気に入って使っていたのはこちらだそう。歌舞伎小屋の楽屋と変わらない設備がよかったのでしょうね。(^^)
全身鏡には、麻生太郎さんのステッカーも貼られていました。実際に使われたかまでは聞いていませんが、選挙時の演説の控え室として使ったのかな。(-.-;)





3号楽屋。床山部屋です。カツラをつける準備をするための部屋ですね。こちらもシンプルです。



と、劇場見学はここまで。



☆おまけ☆
嘉穂劇場へは、飯塚バスターミナルからも歩いて行けます。
バスなら、『嘉穂劇場入口』下車です。毛筆調書体がいい感じ。
天神方面からは、【特急でんえもん号】(運行本数注意)に乗れば停車しますよ。そこからは歩いてまもなくです。(^o^)




なお今回、伊藤伝右衛門邸には行かなかったので、次回訪問しようと思います。
あわせて、オススメグルメにも行き損ないましたから、そちらもですね。(^^;
  


Posted by けいたん at 10:00撮影飯塚

2015年12月02日

筑豊を行く(#2_2)嘉穂劇場(小道具部屋・奈落編)

嘉穂劇場編その2です。

舞台脇にある小道具部屋です。多くの歴史が詰まっていますねぇ。
桂三枝(現・桂文枝)師匠の関連ものがあるのをみると、師匠、ほんま好きやねんなー。(^_^)
横の写真パネル、渥美清さんもいます。ご存命なら、ここで舞台なんかも観れたかもしれないですね。






舞台には、記念撮影用の衣装と傘や顔ハメパネルも用意されています。御一人様でも係員にいえば撮ってもらえますよー。
この時期ですと、年賀状にいいかもと、言われました。(^^;




綱元。幕や照明器具を人力操作で操るそう。一歩間違えたら危険なものなのですね。



奈落へ…足元に注意して降りてください。
舞台の回転装置はいまでも人力です。学生さんがお手伝いしているのだとか。見学でも回せなくはなさそうですね。






奈落を抜けるとここに出てきます。(^^;
そばには、鳥屋とよばれる、役者たちが舞台を待つ空間があります。




階段を上がって2階へ。
こちらも柱がなく、どこからでも舞台が観やすいですね。
手前の畳は傾斜がついていて、手すりもだいぶ低いので、滑り注意。まあ、こうしたところは劇中立ち見禁止なのも納得ですね。







ということで、嘉穂劇場編は、まだ続きます。次は、普段は非公開の所に……。(^o^)
  


Posted by けいたん at 10:00撮影飯塚

2015年12月01日

筑豊を行く(#2_1)嘉穂劇場(客席・花道編)




今回の飯塚めぐりでは、麻生大浦荘とともに嘉穂劇場へ行きました。

嘉穂劇場は大正11年、中座として開場。木造2階建ての入り母屋造り。江戸歌舞伎小屋様式です。柱がないのも特徴のひとつといえるのではないでしょうか。

平成18年に国の登録有形文化財に登録され、翌平成19年には経済産業省の近代化産業遺産認定されました。
そして現在、仮認定NPO法人嘉穂劇場が運営しています。

最盛期の昭和37年には年間266日も公演が行われていたそう。筑豊がいかに炭鉱で栄え、その労働者や家族が、娯楽を求めて、芝居小屋へ足を運んでいたのかが伺えます。

こうした芝居小屋は全国各地にありましたが、現在も稼働しているのは、嘉穂劇場のほか、熊本県の八千代座を始め、もうわずかしか残っていません。

嘉穂劇場ではいまでは年間40~50日くらいまでに公演日数が減りました。
それら公演が行われる日を除いて、劇場内を見学できるようになっています。(見学できる日に関しては、公式サイト内のカレンダーを要チェック!)

写真撮影はもちろんOKです。

劇場内は土足厳禁、客席は桟敷になっています。見学では、飲食物持ち込みもできないので注意しましょう。

桝席は大相撲本場所の会場と同じで、区割りされています。(1桝6人座れる計算)
また、柱がないので、どこからも死角にならず観やすいのも特徴。




かの炭鉱王、伊藤伝右衛門はこちらから観ていたのだとか。



舞台から客席を見ると、こんな感じ。本当に近い。


何よりも天井が高い!



舞台に向かって(下の画像でいうところの左に向かって)、緩く傾斜しているのもわかりますね。



花道。高さも低く、間近で役者を観れて触れ合えるのもいいところですね。



花道の出入り口がある通路。左手に往時の公演ポスターが展示されています。


平成15年7月の九州北部豪雨では、嘉穂劇場も浸水被害に遭いました。舞台脇にはそのときのシミも色濃く残っています。
そこから嘉穂劇場には、津川雅彦さんら芸能人などの呼びかけにより、多くの義援金が集まり、再び復活することができたのです。その活動はまだまだ続くことでしょう。(戦前にも一度台風で倒壊して、再建した経緯もあるそう。)



☆おまけ☆
こうした芝居小屋には、入口に大判の絵看板が必ずありましたね。嘉穂劇場では現役の絵師さんが描かれています。
写真とはまた違った、味のある雰囲気でいいですね。鶴瓶師匠も忠実です。


こういうの描きたかったかも……。

嘉穂劇場編は、次に続きます。(^o^)

嘉穂劇場
福岡県飯塚市飯塚5ー23
劇場見学料:大人300円、小学生100円
公式サイト: http://www.kahogekijyo.com/
  


Posted by けいたん at 10:00撮影飯塚

2015年11月30日

筑豊を行く(#1)麻生大浦荘



飯塚市にある『麻生大浦荘』で秋の特別公開が、今年は11月23日~30日に実施されました。通常は非公開の施設となります。
(入場無料なあたり、かなり企業努力されているなと思います。)

……ということで、この機会に行ってきましたが、今年はちょっと色付くのが遅れていて、それも少なめでした。残念。でも、多くの人が見に来ていました。(バスツアーの一行が多かったような。)

9時30分からなので、しばらく待機 …(^^;



改めて『麻生大浦荘』について。
麻生大浦荘は、「筑豊御三家」のひとつに数えられた麻生家の別邸で、数奇を凝らした和風入母屋書院造りの美しい邸宅は大正末期に建てられたといわれています。
1階773.4平方メートル(約234坪)、2階62.7平方メートル(約19坪)の広さを誇ります。
大浦荘の建材は主に桧と杉、柱は四方柾に製材されていて、非常に高価な木材が使用されています。
また欄間にも精緻細工が施され、贅を尽くして建築されたことが伺えます。

筑豊御三家のうちの麻生といえば、もちろんそう、副総理でもいらっしゃる麻生太郎さんの家系。曾祖父・麻生太吉のことです。(太郎さんの父は太賀吉、祖父は同名の太郎……本当にごっちゃになるような家系ですよね。(^^;
)

大浦荘は、その麻生太吉の長男・麻生太右衛門の住宅でした。なお、麻生家の本家は柏の森にあります。
ちなみに、大浦というのは、この地にあった小字名からとったものです。

現在は普段は、麻生グループの会合や接待などに使われるとか。
こんなにも広ければ、申し分なしでしょうね。

畳廊下 フローリングの床とまた違ったぬくもりを感じます。


応接間 シャンデリアにソファー。和室とはまた違った雰囲気。


朝方は、雨で庭園が開放されなかったものの、庭園内に誰もいないちょっぴり贅沢なのが撮れたのがよかったかも。(それが本来の姿ですが。)



THE・和、といった感じですかね。(^^)





庭園が開放された昼過ぎにまた行ってみました。
邸宅を撮りたかったわけですがね。1枚目の写真もこのときに撮影。


こちらはソフトフォーカス風にしてみました。(^^;

曇りがちの空模様でしたが、そこまで逆光に気にせずに撮れたあたり、まだ良かったかもです。


春と秋の2回、一般に特別公開される、大浦荘。
春もまた暖かな陽気なので、いっそう良さそうですよね。



麻生大浦荘
福岡県飯塚市立岩1060  


Posted by けいたん at 10:00撮影飯塚