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2017年09月04日

圧切長谷部(レプリカ)の刀身を見る

※公開期間は既に過ぎていることを承知の上で、ご覧ください。

舞鶴公園にある福岡城むかし探訪館で、黒田官兵衛が織田信長から拝領した、国宝「圧切長谷部」(へしきりはせべ)のレプリカを見てきました。(※本物は、福岡市博物館にて保管されています。)

普段は、鞘の中に納めて展示されていて、刀身の姿や形を見ることができませんが、鞘から抜いた状態での展示が、7月3日〜8月31日に行われました。

いつかは見なくては思っていたのですが、なんとか最終日に間に合いました。(^^)
レプリカとはいえ、やっぱり、見るとわくわくしますねぇ。







鍔には「南無妙法蓮華経」が刻まれています。





最近、刀剣ブームが来ていますね。大河ドラマやアプリゲームなどの影響でしょう。
本物は、福岡市博物館で不定期ながら公開されるので、今度はそっちも見たいものです。  


2017年08月16日

福岡城跡に幻の天守閣が現れた

福岡市の舞鶴公園で、8月11〜12日の2日間、福岡青年会議所主催の「福岡城夏祭り2017」が行われました。



このイベントで、天守閣を立体的に描いたアルミパネル100枚を組んだ、高さ約13メートル、幅約15メートルの「幻の天守閣」が、福岡城跡の大天守台に組み立てられ、その姿を現しました。

見る角度によっては、本物の天守閣っぽくも、見えなくはなかったです。面白い企画ですね。(^^)









裏側はこんな感じになっていました。



夜はライトアップも行われたみたいですが、撮れませんでした。  


2016年01月27日

歴史的大寒波と雪景色を撮る(20160124_舞鶴公園編)

1月24日~25日、日本列島を歴史的大寒波が襲いました。
福岡でも、24日の昼間の気温が氷点下となるなど、とくに25日にかけて、大雪、吹雪、路面凍結、さらに交通機関にも大きな影響がでました。積雪は、福岡市から南へ下るほど多かった印象を受けます。

そんな24日午前中、危険を省みずに舞鶴公園へと行ってきました。
近年ではなかなか見られない光景が、そこには広がっていました。

まずは福岡城大天守台から。
目の前の本丸跡がうっすら積もっているのも見て取れます。この撮影時点で、気象台ではマイナス3度を観測していたもよう。



江戸時代、福岡藩の武士たちはこのような真っ白になった城内、城下町の光景を、見られていたのであろうか。(^^;

天守台石垣。すべての方角から雪が降ったことが伺えますね。



表御門跡
石段で滑らないように、慎重に昇降しなくてはいけません。(^^;



多聞櫓


祈念櫓
祈念櫓の北側にあるテニスコートや西側に広がるラグビー場(水の手跡)は使用が停止となっていたので、一面真っ白でした。




東御門跡




平和台球場跡地周辺
一塁側内野スタンド付近
球場跡地北側一帯で行われていた鴻臚館跡の発掘調査がおわり、芝生養成だったりが行われています。ライト側で地吹雪が起こっているのも確認できます。ひょえー。



上之橋付近



この極寒の中、梅も芽を出して咲いていました。





改めて、福岡城は素晴らしい城であること認識させられました。  


Posted by けいたん at 09:00撮影史跡・遺産関連福岡城を歩く

2015年06月01日

旧母里太兵衛邸長屋門の現地説明会と内部公開(20150530)

5月30日、舞鶴公園内にある『旧母里太兵衛邸長屋門』の現地説明会ならびに通常非公開の内部の見学会が開催されました。
昨年10月中旬から4月まで行われていた保存修復工事が行われ、その完了にともなうものです。

また、母里太兵衛の子孫でいらっしゃる母里市兵衛忠一氏による講話も行われました。

母里太兵衛といえば、大河ドラマ『軍師官兵衛』では、速水もこみちさんが演じましたね。(^^;





旧母里太兵衛邸長屋門について、ここで改めて…


福岡県指定文化財 旧母里太兵衛邸長屋門

 筑前今様の「酒は飲め飲め」で知られる母里太兵衛(母里但馬友信)は、黒田二十四騎の一人で、福島正則から名槍日本号を飲み取った豪傑として知られている。黒田長政が筑前入国後、六つの支城の一つ大隈城主となったが、慶長二十年(一六一五)六月六日病没した。
 現在の天神二丁目の野村証券株式会社の地は、母里太兵衛の当時の屋敷で、この長屋門はそこに構えられていた。武家屋敷長屋門として代表的なこの江戸時代の優れた建造物を末永く保存していくため、昭和三十一年に県の文化財に指定され、同四十年にこの地に移築されたもので、今もなお往時の姿を伝えている。

  昭和五十三年三月 福岡市教育委員会

(現地説明板より)


ということで、この長屋門は昔から現在地に建てられていたわけではなく、現在の野村證券福岡支店の地にあった、旧母里邸にありました。
明治以降の近代化や太平洋戦争の戦火などを免れた、福岡市内に残る唯一の武家屋敷の長屋門です。

戦後、復興に伴う、事業やビルの建設により、一時期、長屋門も消滅の危機を迎えます。
昭和24年、市内にある歴史的建造物を福岡城内に移築させて郷土博物館とする構想が浮上しました。
昭和27年に、長屋門の建物が野村證券から寄贈を受けて、いったん解体保存され、昭和31年4月に県指定文化財に指定されました。
移築場所については困難を極めたそうですが、昭和39年に現在地に決まりました。

移築復元工事は同年10月より着工し、翌40年3月末に竣工。
内部は解体される前に住宅として改造されていたため、専門家の研究を仰いで、できるだけ本来の姿に戻されました。

長屋門は福岡城内に移築されて保存されたものの、郷土博物館とする構想は実現することはありませんでした。

====

今回の保存修復工事では、移築から約50年が経つとのことで、軸部や土台の腐朽が進んでいたために実施されたとのこと。
修理は現況復旧を原則として、屋根、小屋組み及び桁の一部については解体後、現況復旧。柱や土台は家揚げを行い、柱の根継ぎや土台の取り替え等が行われたそうです。


立派な門扉。


門扉の上部の冠木には、母里家の家紋らしきものが…(菱形のマーク)



護摩札。打ち付けられた経緯や目的についてはわかっていないという。




昭和39年移築当時の工事記念瓦。



今回の修復工事で蟻食被害が酷かった部材は、内部で保存されています。



長屋門南室の入口と内部のようす。中央部に上の部材が置かれています。


修復工事では、壁の漆喰が塗り直されたそう。天井はそのままらしいです。

内部公開は本当に貴重ですね。次回はいつ行われるかもわかりません。もしかしたら……。





―建物概要―
文化財指定: 福岡県指定(昭和31年4月)
建築年代: 江戸(構造形式により19世紀前半か)
構造及び型式: 長屋門、木造平屋建て、入母屋造、本瓦葺
規模: 桁行 21.06メートル、梁間4.0メートル、建築面積84.24平方メートル
改修履歴: 昭和40年移築、昭和57年屋根および壁改修



ところで、現在の野村證券福岡支店の地にあった母里太兵衛の屋敷ですが。
この並びには、のちに、伊藤伝右衛門の赤銅御殿ができるのです。偶然か?
当時はお屋敷も多かったといわれているので、伊藤伝右衛門は、わかっていた上で建てたのかもしれないですね。(^^;
(ご子孫でいらっしゃる忠一氏と個人的にお話しする機会にて)  


2015年04月07日

なごり桜を撮る!

福岡城さくらまつりは、5日に終了しました。
会期中盤から、曇りや雨の日が続く、菜種梅雨となりました。
イベントとして終わっただけであり、舞鶴公園はまだしばらくお花見が楽しめそうです。

シダレ桜は、ちょうど見頃のところがいくつもあって、これを見るだけに来てもいいかもしれませんね。








多聞櫓とソメイヨシノ。
いまにも武士が出てきそうな雰囲気…(^^)



ソメイヨシノのじゅうたんもいい感じです。(^^;
右の櫓は、祈念櫓。




ここ数日の風雨で、ソメイヨシノの花びらが石垣についていて、まるで雪のようになっています…(^^;




公園内のサクラの花びらがすべて散った頃には、舞鶴公園はいよいよ新緑で染まっていきます。

  


Posted by けいたん at 10:00撮影地域情報福岡城を歩く

2015年04月02日

曇天下でもサクラ!

福岡のソメイヨシノは先週末に一気に満開を迎え、サクラを見ようと各地でお花見日和となったところも多かったようです。

週明けから曇天という天気。スッキリ青空で撮りたいものですね。

曇天でも、ホワイトバランスさえしっかり調整すれば、ソメイヨシノをしっかり撮れます!◎


加えて、ソフト調にいじってみたり。





前を行く女子2人組がスマホで撮っているところをタイミングよくシャッター切れました。(^^)




菜種梅雨はしばらく続きそうですが、小学校の入学シーズンまで持ってくれるといいですねぇ。
  


Posted by けいたん at 10:00撮影地域情報福岡城を歩く

2015年03月27日

福岡城でサクラを見る!

25日昼ならびに、『福岡城さくらまつり』初日の26日夜に、舞鶴公園に行って来ました。


週明けからの寒の戻りから、やっぱり、まだ早い感じ?
週末辺りに見頃を迎えることになりそうです。

上之橋付近(平和台球場跡地入り口)



天守台から。



福岡城さくらまつり

ミニライブは、FFG(福岡フィナンシャルグループ)のCMでもお馴染みの大森洋平さん!


まだ早い。。w


地元の小学生たちによる作品の灯籠が、二の丸方面へと誘います。



昼と夜の比較写真(^^)


  


Posted by けいたん at 09:00撮影イベント関連福岡城を歩く

2013年08月26日

福岡城を歩く(#3)藤棚の夏

今回の『福岡城を歩く』は、番外編。

舞鶴公園には季節問わずに多種な植物が見られます。

春、ソメイヨシノのあと、藤が見頃になります。
藤棚は4ヵ所あり、なかでも、平和台陸上競技場西側の藤園は一番広くて、約1300平方メートルあります。

藤の花は、4月中旬から5月上旬ごろまでが見頃。


それ以外でも、藤園には立ち入ることができます。


恐る恐る入ると、緑のトンネルが広がっていました。



網目のようになった藤棚に藤の枝葉が絡んでいます。



ヒンヤリとまではいきませんが、暑さが少し和らぐといったところですね。
運動上がりにはいいかもしれません。(もっとも、こんなに暑かったら、昼間にランニングだとかする人はほとんどいませんけど。)

藤棚の鑑賞の際は、セアカコケグモなどには十分お気をつけください。
見つけたり、刺された場合は、すぐに通報を。


(撮影日:2013/8/12)  


Posted by けいたん at 09:00福岡城を歩く

2013年08月08日

福岡城を歩く(#2)祈念櫓




福岡城祈念櫓は、本丸の東北隅に鬼門封じの祈念をするために、棟札によれば1860年に建立されたとされる。

大正7年、北九州市の大正寺境内に移築されて、観音堂として使用されていた。
昭和58年、同寺より福岡城の旧位置に移築された。

大正初期の撮影と推定される写真によると、下見板張り、白漆喰の壁、軒先を方杖と軒桁で支える二層の櫓であり、現在復元された祈念櫓とは著しく外観が異なっていて、福岡城から大正寺に移築された際に大幅な改変を受けたものと考えられています。



う~ん~。たしかに、石垣の囲みに比べても櫓が小さい。。
再整備で建て直す余地があるかは、不明。  


Posted by けいたん at 09:00福岡城を歩く

2013年07月30日

福岡城を歩く(#1)大天守台跡

福岡城は、1600年の関ヶ原の戦い後、黒田長政に筑前国52万石を徳川から与えられ、当初は名島城に入るが、狭いこともあって、翌年、当時の那珂郡警固村福崎に新たな城を築くこととなり、1607年に完成。

梯郭式の平山城で、天守台、本丸、三ノ丸、二ノ丸の4層にわかれ、
表御門をはじめとする10の門、潮見櫓など47の櫓がありました。

国史跡指定面積は、48万平方キロメートル!舞鶴公園、恐るべし!
まあ、とにかく広いお城であったことには間違いありません。
語るだけで、時間がほしいくらい。(^^;

いま、上之橋御門跡の石垣の修復が行われていますし、秋頃にはレーダー解析による調査も実施される予定。

また、古代の迎賓館も鴻臚館跡とともに、日本では唯一のダブルでの国史跡の指定を受けています。


今日は、大天守台跡から。

天守閣がかつてあっただとか、なかったとか、学者のなかにも意見が割れています。
幕府に配慮して取り壊したと言う文献も残っていますが、真実は不明。
絵図では描かれていないのをみると…。

大天守台跡は展望台として開放されています。
春は眼下に桜が咲き誇り、夏は大濠花火大会のビューポイント!


石垣には、経年により、雑草が生え放題。これはなんとかしてほしい。




展望スペースの下には礎石が残されてはいますが、これは!?




もし天守閣が建てられていたら、高さは倍近くあるわけですから、さらに眺望がよろしかったことでしょう。


ということで、この企画は、不定期でお送りしていきます。(__)  


Posted by けいたん at 09:00福岡城を歩く