2017年03月14日

熊本市内を歩く(#4)富重写真所

熊本市内を歩く。4回目の今回は、新町にある「富重写真所」です。

上野彦馬のもとで写真術を学んだ初代の富重利平が1866年(慶応2年)に柳川で開業したのち、1870年(明治3年)に熊本市新町へ移転しました。
以来、熊本の近代を語る写真の数々を撮影し続け、今日に至っています。

そうした経緯から、日本最古の写真館とも言われています。

富重写真所の坪井川沿いに面した木造建物は1877年(明治10年)築(西南戦争で焼失するも同地で再築されたのが現在の建物)で、木造2階建ての建築となっています。
当時は、ガラス屋根を透過した光をいったん床に当て、バウンドさせた光を再度、壁面で捉え被写体を照らして、立体感を作り出す仕組みとなっていたようです。
また、文化庁の登録有形文化財、熊本市の景観形成建築物の指定を受けています。

万歳橋から見る建物。



周囲はすっかりビルやマンションなどになりましたが、当時はどんな光景だったのでしょう。

なお、熊本県教育委員会の調査報告書によると、写真の原板が842点、写真1176枚、カメラ機材379点など、膨大な資料が写真館に伝わっているという。
そうした1000枚を超える数の写真には、明治期の人や風景、さらには西南戦争の戦跡まで写されており、当時の熊本の姿がわかるのだという。(その半数近くが、県立美術館の収蔵庫に保管されています。)

写真館の正面にあるガラスケースには、いずれも明治期、富重写真所で撮影された小泉八雲らの肖像写真、そして、西南戦争で焼失する前の熊本城天守閣の写真が飾られています。
ちなみに、夏目漱石らもここで肖像写真を撮影されています。


(シャッターが下りていたので、道路側の建物の正面がちの写真は撮っていません。)

建物内部もそうですが、貴重な写真の数々も見てみたいものですね。


富重写真所
熊本市中央区新町2-8-5  


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2017年03月10日

熊本市内を歩く(#3)西村邸

熊本市内を歩く。3回目は、西村邸です。古町エリアです。

西村邸は、明八橋そばの坪井川沿いにあり、南側の道路に面して倉庫が設けられ、北側の坪井川に面して住宅が建てられています。
大正6年(1917年)築とのことで、今年で100年を迎えます。

住宅は木造2階建てで、住宅内部の床・壁・天井に数寄屋風の意匠が使われています。
また、もともと油商であったため、敷地の東西のレンガ造の防火壁に特徴。
特に、東側は2階建ての外観に合わせた煉瓦壁になっています。

2010年には、熊本市の景観重要建造物の指定(第2号)を受けています。

地震前まで、道路側の倉庫跡では「器李家カフェ」というカフェが営業されていました。

危険度判定では赤紙が貼られていて、2階部分の外壁が剥がれるなどしていましたが、すでに綺麗に直されています。

2016年5月13日



隣に家があった痕跡が煉瓦壁にくっきりと残っています。


古町エリアは、西南戦争でも被害が少なかったようで、いまも多くの町家が残っています。


かつて、坪井川を使って積み出していたということもあり、裏手にはその痕跡らしきものも残っています。



2017年2月20日



2017年3月6日



西村邸
熊本県熊本市中央区西唐人町10  


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2017年03月06日

熊本市内を歩く(#2)味噌天神(201605)

熊本市内、取り上げる内容はだいたいは中心部がメインになってしまいますが、地震によって、気づかない間に、変わってしまった光景も少なくありません。また、被害状況なども取り上げていこうと思います。

2回目は、昨年5月時点の味噌天神の状況です。

正式な神社名は、本村神社。
和銅6年(713年)に悪疫が流行した際、平癒を祈願して「御祖天神」を御祭神として祀ったのがはじまりとされていて、それが時代を経て「味噌天神」となった。
味噌天神というのは俗称であり、日本で唯一、味噌に対する利益があるとされることがその由来。


由緒書き(現地案内板より)

味噌天神

旧記には天神社と記され、正式には本村神社であるが、一般的には味噌天神の名で知られ、全国唯一の味噌の神様として崇められている。
伝承によれば、和銅六年(七一三)に悪疫が流行したとき神楽の神「御祖天神」を祀ったのがはじまりで、その後国分寺の味噌蔵の守護神となったので「味噌天神」と呼ばれたという。
神社の境内に生ずる笹は、味噌の味をよくするというので、戦前は各地から貰いに来る人が絶えなかった。学説では天神の御衣を納めた「御衣天神」であろうとされている。


と、由緒深き神社なのですね。

熊本地震で、県道28号に面した鳥居が倒壊。


どこへ…と境内を歩いていたら、有りました。

昨年5月の訪問時は、鳥居の瓦礫が境内に置いてありました。再建されるのが待ち遠しいですね。



社殿も、屋根瓦が剥がれかかっていたり、少し湾曲しているようにも見えました。



ひのくに号に乗ると、目の前に見えているのに、唯一、地震前の写真を撮っていなかったのが心残りです。

味噌天神(本村神社)
熊本市中央区大江本町7-1  


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2017年02月24日

熊本市内を歩く(#1)上通アーケード・金龍堂まるぶん店のかっぱ像

熊本市内、取り上げる内容はだいたいは中心部がメインになってしまいますが、地震によって、気づかない間に、変わってしまった光景も少なくありません。また、被害状況なども取り上げていこうと思います。

1回目の今回は、金龍堂まるぶん店のかっぱ像を紹介します。

熊本市の繁華街、上通アーケード内にある、金龍堂まるぶん店。老舗の書店のひとつです。

金龍堂まるぶん店には、通行人を呼び込もうと店頭に設けられた噴水に、座禅を組むなどしたユニークな3体のかっぱ像が鎮座していて、アーケードを行き交う市民らに、よく親しまれています。

かっぱ像は1970年からだそうですから、45年以上もここで行き交う人を見てきたのですね。知らない人がいるはずがありません。

そのなかで昨年4月の熊本地震によって、金龍堂まるぶん店は臨時閉業に追い込まれました。9割近くの本が落下し、返品を余儀なくされたりしたとか。
閉ざされた店のシャッターには、営業の再開とかっぱ像の再会を待つ市民らの寄せ書きの紙が貼られるなどしていました。

かっぱ像は、震災にもなんとか耐えていて、書店の改修工事を終えて、11月にリニューアルオープンと同時に、再びお目見目しました。


2016年2月撮影


2017年2月撮影



改修工事によって、噴水は少し形を変え、3体が寄り添うようになりましたね。左右のかっぱの位置も違います。
かっぱ像の周りには小銭がたくさん…。いかに、営業再開とかっぱ像への再会を待ち望んでいたかがうかがえますね。
これからは、3体で復興について語り合っていることでしょう。(^^)

地震前のかっぱ像の姿を、改めて、撮っておいて良かったなと思えました。
少ないながらも、記録は大事ですね。


金龍堂 まるぶん店
熊本市中央区上通町5-1  


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2017年02月21日

親不孝通りの愛称復活へ!




すでにニュースにもなっていますが、福岡市中央区の親富孝通りの愛称が17年ぶりに「親不孝通り」になるみたいです。(「天神万町通り」は通称みたいです。)




天神「親不孝通り」復活決定 17年ぶり、旧愛称登録へ

2017年02月20日 06時00分

福岡市・天神の一角にある「親富孝通り」の住民や商店主らが19日、通りの愛称を17年ぶりに「親不孝通り」に戻すことを決めた。近く市に登録を申請する。関係者は「かつてのにぎわいを取り戻したい」と話している。

1970年代以降、通りの近くにあった予備校に通う浪人生が目立ったことから「親不孝通り」と呼ばれるようになった。バブル期は大型のディスコや個性的な居酒屋でにぎわったが、名前の印象が風紀の乱れを招いていると批判もあり、2000年に「親富孝通り」に改名した。バブル崩壊後は閉店が相次ぎ、人通りが少なくなった。

改名は沿道の住民や商店主らでつくる「天神・舞鶴
親ふこう通り協議会」が2年前から論議を重ねた。1月下旬の住民アンケートでは、回答した403人の7割以上が「親不孝通り」の復活に賛同した。

重孝義会長(62)は「一世を風靡(ふうび)した時代を知る人の思い入れがアンケートに反映された。これを機に、福岡のランドマークになるような魅力ある街を目指したい」と話した。

=2017/02/20付 西日本新聞朝刊=
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/309190



かつて「親不孝のシンボル」として、通りの北端の那の津通りにあった水城学園が20年程前に閉校となり(建物はしばらく残るも解体)、長浜公園も悪そうな人の溜まり場化となるなど、かつての賑わいはどこへやら…。
当時は、通るのを避けてきていましたが、いまはそれらの当時からの雰囲気もなくなり、昼夜で治安もよくなり、明るい通りになりましたものね。(^^)

しっかりアンケートを取り、それを公表、変更に結びつけようとしていることを行っていることに感服です。ほとんどが反対しなかったのも、ちょっと意外ですね。(^^)

  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影福岡市中央区天神

2016年09月27日

福岡空港第1ターミナルビルを見る

後藤寺バスセンターからそのまま急行バスで、福岡空港へ行ってきました。(^_^)

福岡空港では10月4日、福岡空港の第1ターミナルビルを閉館し、国内線の全便の発着を第2、第3ターミナルビルに移管されます。
また、それにあわせて、その2つのターミナルビルの総称が「国内線旅客ターミナルビル」に変更となります。

今回の閉館は2019年に完成、供用を開始する予定の福岡空港の新ターミナルビルの工事の本格着手によるもので、第1ターミナルビルは完全に解体されることになっています。

第1ターミナルビルは1969年4月から供用開始とのことで実に45年以上も経ちますが、ところどころ、昔の空港らしさを残していました。

外観。まさにTHE空港といった感じですねぇ。ネオンも含めて。



ターミナルビル内部。
近年多少のいじりがありますが、現況です。
天井の低さは、やはり昔の空港のターミナルビルらしさ。





最近は、閉館に伴って、昔の写真の展示物などが至るところにあります。懐かしいと、思いを馳せる人はわずか…かも。



出発口前(保安検査場前)


以前はパタパタ式の案内表示が残っていましたね。アナログ時計もありました。(2012年8月撮影)



到着口



送迎デッキ。金網にはレンズ用の穴はなかったですが撮れないことはなかったです。しかし、なんだかねぇ。



その上にある展望デッキへ。
そこへ上がる螺旋階段も特徴的でした。







自分も何度かお世話になってきましたが、なくなるとおもうと、何だか寂しくなります。
  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影地域情報飛行機

2016年09月23日

筑豊を行く(#6)後藤寺バスセンターの最期

筑豊を行くシリーズ、久しぶりです。最近の訪問から。
田川市にある後藤寺バスセンターへ行ってきました。

鉄筋コンクリート3階建ての建物で、2階部分には1959年から1988年まで、『ターミナル会館』と呼ばれていた、座席数700を誇る大型の映画館があり、川崎町の炭鉱主・上田一族がオーナーの朝映観光が営業を行っていました。(※建物所有権はいまも同社が持っています。)

映画館が閉館したあとも、『ターミナル会館』の看板はそのままで、バスセンターが残りました。
しかし、老朽化によってコンクリートの落下等が発生していことから、西鉄は再三にわたり建物の所有者※に対して施設の修繕を要請していたそうですが、要請に応じなかったため、今年6月24日に開かれた、田川市議会の建設経済委員会において、今月末をもって、西鉄が同バスセンターから撤退することが正式発表された形になりました。

なお、同バスセンターからの撤退で、「後藤寺」バス停は、近くのところへ移設されます。(天神・博多駅方面の特急・急行バスの発着も同様)

いずれ、建物も解体されてしまうのではないでしょうかね、さすがに…。その費用などどうするのか。駅前と一帯とした再開発があるのかも、注目しておきたいですね。

というわけで、バスセンターが閉鎖される前なので、行ってきたというわけです。いつ以来かー。


外観1
バスセンターへ乗り入れるバスはここから進入します。





構内
あえて、レトロ風に。
明るい時間帯ということもあるせいか、蛍光灯も部分的に灯されているだけ。それがかえって、いい感じです。
すでに窓口業務は廃止されており(後藤寺営業所に移行済)、構内アナウンスなどもなく、待合用のベンチが残されているのみです。(トイレと自動販売機はあり)









外観2(322号線側から)





JR田川後藤寺駅までは歩いてすぐのところに立地しますが、筑豊ってどこへいっても、やはり寂しい印象を受けます。  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影西鉄バス田川

2016年08月25日

大浜流灌頂

毎年8月24日~26日の3日間、福岡市博多区大博町の流灌頂通りの一帯で『大浜流灌頂(おおはまながれかんじょう)』が行われます。

博多どんたくや博多祇園山笠といった全国に知られた博多のお祭りはありますが、長い歴史と独特の風物詩をもっていて、地域で親しまれていいるお祭りのひとつが、この大浜流灌頂ではないでしょうか。

宝暦6年(1756年)、海難と疫病の祈祷を行ったのが起源とされています。
期間中は通りが歩行者天国となり、露店も並びます。

また、一角に設けられた祭壇では東長寺の僧侶たちによる読経が行われ、通りに掲げられた『武者絵大灯籠』が幻想的な雰囲気を醸し出します。

この武者絵は、博多最後の絵師・海老崎雪渓による、明治中期の作品です。
大浜(旧町名)各町が所有保管していて、期間中は3基が掲げられます。残りは、旧大浜公民館で同じく期間中に公開展示されています。

来た時間が早かったので設営前から…(^^)






あかりが灯ると、こんな感じです。妖しくて美しい、幻想的な雰囲気を醸し出しています。




昨日は、途中でぽつりと雨が降り(濡れるほどではなかったですが)、撤収されてしまいました…。



東長寺の僧侶たちが読経をされている前の祭壇には、左から不動明王、大日如来、弘法大師の掛け軸が掛けられています。
また画像の左端には、江戸時代に作画された大浜流灌頂施餓鬼堂仏画が掛けられています。




この大浜流灌頂が終わると、博多の夏もまた、終わりを告げます。  


2016年06月07日

海元寺の観音堂・閻魔堂を見る #福岡

博多区中呉服町にある「海元寺」。

海元寺には、観音堂(天国)と閻魔堂(地獄)が隣り合わせに祀られていて、眩しく輝く観音様と、睨みをきかせる閻魔様が鎮座されています。

また、閻魔様の手前には、三途の川のそばにいる“奪衣嫗(だついうば)”の像があります。この“奪衣嫗”は、衣服を剥がし木の枝に吊るして、その枝のしなり具合から罪の重さを計るとも、三途の川をを渡る金銭がない者から代わりに衣類を剥ぎ取るとも言われています。

地元では「こんにゃく婆さん」として親しまれています。こんにゃくはあくが使われることや「困厄(こんやく)」と名前を絡め、閻魔祭の日にこんにゃくをあげると、身体の「あく(悪)」を取ってくれると言われているためで、たくさんのこんにゃくが供えられます。

そんな閻魔様と観音様が祀られているお堂が改築され、今月5日に落慶法要が営まれました。
普段は1月16日と8月16日の年2回行われる「閻魔祭」でしか御開帳されないというお堂ですが、当分の間、毎日公開されます。



閻魔さま 毎日公開 博多区の海元寺 堂新築、当分の間

2016年06月05日 14時34分

福岡市博多区中呉服町の海元寺(桜木知彦住職)で、閻魔(えんま)像や奪衣婆(だつえば)像などを祭る「閻魔堂・観音堂」の建て替え工事が完了し、4日、落慶法要が営まれた。閻魔像は1月と8月の年2回のご開帳が長年の慣習だったが、今後は当分の間、毎日公開される。

同寺によると、閻魔堂、観音堂ともに開かれて300年以上。棟続きの閻魔堂・観音堂は築50年に近く、福岡沖地震で特に傷みが激しくなったため、昨年10月から建て替えを進めていた。

新堂は、同じ棟の祭壇に向かって左半分が閻魔堂、右半分が観音堂。以前の約1・5倍の広さがあり、外から参拝する格好だった旧堂と違って、参拝者は中に入ってお参りできる。

法要には、檀家など100人以上が参列。十数人の僧侶が読経し、堂の完成を祝った。桜木住職は「檀家の皆さんのおかげで立派な堂ができた。見やすくなったので多くの人に参拝に来てほしい」と話した。

=2016/06/05付 西日本新聞朝刊=
http://www.nishinippon.co.jp/feature/hakatayokatoko/article/249987



ということで、見てきました。立派になられていますね。(^^)




失礼して、中を撮影。

前述のとおり、閻魔堂には、閻魔様、手前に奪衣嫗。


観音堂には、観音様がいっぱい並んでいます。



旧お堂。(2015年4月撮影)
御開帳されていない普段は、外から格子状の隙間から拝む形でした。


  


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2016年02月02日

歴史的大寒波と雪景色を撮る(20160125_雪の太宰府を歩く編)



先週のお話。
歴史的大寒波は1月25日もつづき、週明けの月曜日ということもあり、福岡県内でも、交通機関はもちろん、各方面でも影響を受けました。

25日は、ふと、太宰府へ行ってきましたので、そのときの模様からお送りします。
(その前後には撮り鉄も行ったのですが、また改めて紹介。)

西鉄太宰府駅。想像以上の積雪量でした。
手前はロータリーなのですが、バスは来ません。それもそのはず、西鉄バス二日市の路線バスならびに太宰府市のコミュニティバス『まほろば号』(西鉄バス二日市に運行委託)は全路線で運休となっていました。
チェーンつけてあっても危険ということでしょうね。


太宰府天満宮へ通じる参道。
ここ最近は外国人観光客の増加でまっすぐ歩くことが困難になりつつある参道も、人が疎らでした。とは言っても、このような機会はそうないこと。これ目当てで太宰府まで行った人もいたことでしょう。(自分その一人。。)



自撮り棒でみんなで収まって撮る観光客を撮ってみたり。話し方から韓国かな。韓国も雪に関しては変わらないくらいだったとおもいます。
ソフトクリームを手にしている方がいますねー。そういえば、寒いときにもソフトクリームが食べたくなるのは、日本人も同じだと思いますが(ごく一部かもしれないが)、何ででしょう。



なんとか、太宰府天満宮入り口へ。


太鼓橋は積雪により渡れなくなっていました。足を滑らせたりで転倒などすれば流石に危険ですからね。


心字池は凍っていました。表面だけだとは思いますが、この光景は初めて見ました。



太宰府天満宮楼門。一面雪景色。太宰府天満宮で有名な大楠(クスノキ)も真っ白になっています。


雪景色には、和装がお似合いです。


手水舎


本殿は国の重要文化財。1591年に小早川隆景による再建です。
本殿に雪が積もっているのは、過去に何度か見たことがありますが、流石にここまでは見たことがありません。10cm以上はあります。



飛梅。今年は1月9日に開花が発表されましたが、雪を被っていて、つぼみがよくわからないですね。



太宰府天満宮の付属幼稚園の園庭では、かまくら造りが行われていました。幼稚園は臨時休園となっていましたが、果たして翌日まで保たれていたのか、今となっては気になってしまいます。



参拝帰り。参道のお店はこの大雪で店じまいが多かったですが、開いているところで、比較的空いていた『やす武』さんで、梅ヶ枝餅を。


おや?とお気づきの方もいることでしょう。毎月25日、参道で梅ヶ枝餅を出すお店は、普通のとはまた別に、よもぎ入りも販売されます。お値段は同じ120円。久しぶりにいただきました。


~~~~

ということもあり、太宰府天満宮まで行ってきました。かまど神社や観世音寺なども行ってみたかったのですが、バスがないので、さすがに諦めました。(歩いて行けないことはないでしょうが、この大雪では危険すぎます。)

近年は温暖な気候が続き、このような大雪になることは相当稀だそう。もしも、このようなことがあれば、足元にも気をつけて行動しましょう。スニーカーや長靴がおすすめです。
  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影地域情報

2016年01月29日

歴史的大寒波と雪景色を撮る(20160124_福博巡り2)

24日編の続き。

聖福寺を後にして、再び大博通りへ。
東長寺の前も当然、うっすら。もち吉さんは臨時休業となりました。24日は臨時休業となるお店もさすがに多かったですね。


博多駅へ。ペデストリアンデッキから撮影。
タイヤ痕が芸術っぽくてカッコいい。



一般車は少なめ。
タクシーロータリーにはタクシーが1台だけ。中心の待機場には1台もいません。




住吉神社


24日、事故もなく、無事に帰ってこられました。
25日はもっとすごい光景を目の当たりのしようとは、このときは想像もつかず。果たして。
  


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2016年01月12日

住吉神社に不思議な穴…追儺祭

住吉神社の本殿前に不思議な空間ができていました。


ぽっかりと穴が掘られていて、真ん中だけ山なりになっています。


注意書きに『追儺祭』とあります。


追儺祭とは何ぞや……とおもい、住吉神社の公式サイト内の『祭典・行事』を見てみると、こういう解説がありました。

“ 1月7日 追儺祭(鬼すべ・鷽替え行事)(ついなさい(おにすべ・うそかえぎょうじ) )
鬼を打つ追儺祭(ついなさい)を斎行し、祭典終了後は凶を吉に取り替える鷽替え(うそかえ)の行事を行います。鷽替えとは、知らず知らずのうちに使ってしまう「嘘」を「まこと」に替えていただき、正しい幸運を招くという意味です。


と、あります。…なるほど。(-ω-)



鬼すべは太宰府天満宮などでも同日に行われています。大きな炎に包まれるあれです。
福岡の都市部でも見られる行事と改めて知りました。来年以降、一度は見てみたい。

どんと焼きは校区ごとで行われていますけどねぇ。(^^)
  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影イベント関連

2015年12月31日

ライトアップinまほろばの里 #太宰府

『ライトアップinまほろばの里』が、12月30日と31日、太宰府市の観世音寺と戒壇院で行われています。

昼間とはまた異なる幻想的な雰囲気ですね。
ライトアップは17時からなので、薄暗いうちから見ると、より一層、そう感じ取れました。

観世音寺 (観世音寺についての解説は過去記事へ)






戒壇院 (戒壇院についての解説は過去記事へ)



大晦日の今夜は、17時~元日午前3時頃まで実施される予定です。
観世音寺の国宝の梵鐘の除夜の鐘を聴きながら、なんてのも良さそうですね。その後、太宰府天満宮に初詣へという流れは、最高じゃないですか。是非とも、オススメしておきます。

2015年のブログ更新はこれが最後。今年も拙ブログをご覧くださいまして、ありがとうございました。
来年も良いことがありますように。今後ともよろしくお願いします。(^-^)ノ
  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影イベント関連

2015年12月24日

筑豊を行く(#5)芳雄橋



遠賀川と穂波川をまたぐ「芳雄橋」は、現在2代目。

旧芳雄橋は、設計は山本宇兵衛で、昭和3年、わが国の鉄筋コンクリート橋の草創期に架けられました。
しかし、平成15年の未曾有の豪雨水害で河川が氾濫して、周囲が洪水に見舞われ、これを契機に、芳雄橋の架け替え計画が進みました。
その後、平成18年3月に閉橋式が行われ、新しい芳雄橋は、平成20年11月に完成。意匠は旧芳雄橋と似たものとなっています。

芳雄橋東交差点の前には、旧芳雄橋の親柱を活用したモニュメントがあります。


左側の親柱には旧芳雄橋の説明のプレートが埋め込まれています。



旧・芳雄橋について

設計・工事責任者 山本宇兵衛氏(1891~1985)による旧芳雄橋の竣工は、
わが国の“鉄筋コンクリート橋”草創期の1928年。
特徴は、中央部のバルコニー、凝ったデザインのランプポール、橋たもとの手洗い水道設備など九州でも先進的な鉄筋モダン橋として、高い評価を集めた。
その後、永年遠賀川の変遷を見守りながら、2006年3月21日の閉橋式で、市民の感謝と惜別中に78年間のつとめを終える。

飯塚文化協会



説明にある特徴…
中央部にバルコニーがあり、凝ったデザインのランプポール、さらには橋の袂に水道がついた手洗い設備まで完備。
恐るべし、炭鉱町を見守ってきた橋。




ちなみに、福岡市東区の多々良川に架かる名島橋の完成は、旧芳雄橋の完成から数年後の1933年です。

名島橋のようにいまも残っていれば、土木遺産として高く評価されていたに違いないです。(名島橋は認定済)

何気なしに通り過ぎてしまうところにも、こうした歴史があると、ますます、深く調べてみたくなるものです。
  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影飯塚

2015年12月03日

筑豊を行く(#2_3)嘉穂劇場(楽屋部屋編)

嘉穂劇場編その3です。

今回、11月30日までの期間限定で、楽屋が特別に公開されました。通常は非公開だそう。パンフレットには当然、載っていません。
実は、これ目当てで行ったようなもののです…はい。(^^)

その楽屋は、舞台の後方の奈落のそばに、3部屋用意されています。



1号楽屋。主役の方が利用されます。シンプルですね。孤独好きにはいいかもですね。





2号楽屋。衣装部屋です。
故・中村勘三郎さんが気に入って使っていたのはこちらだそう。歌舞伎小屋の楽屋と変わらない設備がよかったのでしょうね。(^^)
全身鏡には、麻生太郎さんのステッカーも貼られていました。実際に使われたかまでは聞いていませんが、選挙時の演説の控え室として使ったのかな。(-.-;)





3号楽屋。床山部屋です。カツラをつける準備をするための部屋ですね。こちらもシンプルです。



と、劇場見学はここまで。



☆おまけ☆
嘉穂劇場へは、飯塚バスターミナルからも歩いて行けます。
バスなら、『嘉穂劇場入口』下車です。毛筆調書体がいい感じ。
天神方面からは、【特急でんえもん号】(運行本数注意)に乗れば停車しますよ。そこからは歩いてまもなくです。(^o^)




なお今回、伊藤伝右衛門邸には行かなかったので、次回訪問しようと思います。
あわせて、オススメグルメにも行き損ないましたから、そちらもですね。(^^;
  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影飯塚

2015年12月02日

筑豊を行く(#2_2)嘉穂劇場(小道具部屋・奈落編)

嘉穂劇場編その2です。

舞台脇にある小道具部屋です。多くの歴史が詰まっていますねぇ。
桂三枝(現・桂文枝)師匠の関連ものがあるのをみると、師匠、ほんま好きやねんなー。(^_^)
横の写真パネル、渥美清さんもいます。ご存命なら、ここで舞台なんかも観れたかもしれないですね。






舞台には、記念撮影用の衣装と傘や顔ハメパネルも用意されています。御一人様でも係員にいえば撮ってもらえますよー。
この時期ですと、年賀状にいいかもと、言われました。(^^;




綱元。幕や照明器具を人力操作で操るそう。一歩間違えたら危険なものなのですね。



奈落へ…足元に注意して降りてください。
舞台の回転装置はいまでも人力です。学生さんがお手伝いしているのだとか。見学でも回せなくはなさそうですね。






奈落を抜けるとここに出てきます。(^^;
そばには、鳥屋とよばれる、役者たちが舞台を待つ空間があります。




階段を上がって2階へ。
こちらも柱がなく、どこからでも舞台が観やすいですね。
手前の畳は傾斜がついていて、手すりもだいぶ低いので、滑り注意。まあ、こうしたところは劇中立ち見禁止なのも納得ですね。







ということで、嘉穂劇場編は、まだ続きます。次は、普段は非公開の所に……。(^o^)
  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影飯塚

2015年12月01日

筑豊を行く(#2_1)嘉穂劇場(客席・花道編)




今回の飯塚めぐりでは、麻生大浦荘とともに嘉穂劇場へ行きました。

嘉穂劇場は大正11年、中座として開場。木造2階建ての入り母屋造り。江戸歌舞伎小屋様式です。柱がないのも特徴のひとつといえるのではないでしょうか。

平成18年に国の登録有形文化財に登録され、翌平成19年には経済産業省の近代化産業遺産認定されました。
そして現在、仮認定NPO法人嘉穂劇場が運営しています。

最盛期の昭和37年には年間266日も公演が行われていたそう。筑豊がいかに炭鉱で栄え、その労働者や家族が、娯楽を求めて、芝居小屋へ足を運んでいたのかが伺えます。

こうした芝居小屋は全国各地にありましたが、現在も稼働しているのは、嘉穂劇場のほか、熊本県の八千代座を始め、もうわずかしか残っていません。

嘉穂劇場ではいまでは年間40~50日くらいまでに公演日数が減りました。
それら公演が行われる日を除いて、劇場内を見学できるようになっています。(見学できる日に関しては、公式サイト内のカレンダーを要チェック!)

写真撮影はもちろんOKです。

劇場内は土足厳禁、客席は桟敷になっています。見学では、飲食物持ち込みもできないので注意しましょう。

桝席は大相撲本場所の会場と同じで、区割りされています。(1桝6人座れる計算)
また、柱がないので、どこからも死角にならず観やすいのも特徴。




かの炭鉱王、伊藤伝右衛門はこちらから観ていたのだとか。



舞台から客席を見ると、こんな感じ。本当に近い。


何よりも天井が高い!



舞台に向かって(下の画像でいうところの左に向かって)、緩く傾斜しているのもわかりますね。



花道。高さも低く、間近で役者を観れて触れ合えるのもいいところですね。



花道の出入り口がある通路。左手に往時の公演ポスターが展示されています。


平成15年7月の九州北部豪雨では、嘉穂劇場も浸水被害に遭いました。舞台脇にはそのときのシミも色濃く残っています。
そこから嘉穂劇場には、津川雅彦さんら芸能人などの呼びかけにより、多くの義援金が集まり、再び復活することができたのです。その活動はまだまだ続くことでしょう。(戦前にも一度台風で倒壊して、再建した経緯もあるそう。)



☆おまけ☆
こうした芝居小屋には、入口に大判の絵看板が必ずありましたね。嘉穂劇場では現役の絵師さんが描かれています。
写真とはまた違った、味のある雰囲気でいいですね。鶴瓶師匠も忠実です。


こういうの描きたかったかも……。

嘉穂劇場編は、次に続きます。(^o^)

嘉穂劇場
福岡県飯塚市飯塚5ー23
劇場見学料:大人300円、小学生100円
公式サイト: http://www.kahogekijyo.com/
  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影飯塚

2015年11月30日

筑豊を行く(#1)麻生大浦荘



飯塚市にある『麻生大浦荘』で秋の特別公開が、今年は11月23日~30日に実施されました。通常は非公開の施設となります。
(入場無料なあたり、かなり企業努力されているなと思います。)

……ということで、この機会に行ってきましたが、今年はちょっと色付くのが遅れていて、それも少なめでした。残念。でも、多くの人が見に来ていました。(バスツアーの一行が多かったような。)

9時30分からなので、しばらく待機 …(^^;



改めて『麻生大浦荘』について。
麻生大浦荘は、「筑豊御三家」のひとつに数えられた麻生家の別邸で、数奇を凝らした和風入母屋書院造りの美しい邸宅は大正末期に建てられたといわれています。
1階773.4平方メートル(約234坪)、2階62.7平方メートル(約19坪)の広さを誇ります。
大浦荘の建材は主に桧と杉、柱は四方柾に製材されていて、非常に高価な木材が使用されています。
また欄間にも精緻細工が施され、贅を尽くして建築されたことが伺えます。

筑豊御三家のうちの麻生といえば、もちろんそう、副総理でもいらっしゃる麻生太郎さんの家系。曾祖父・麻生太吉のことです。(太郎さんの父は太賀吉、祖父は同名の太郎……本当にごっちゃになるような家系ですよね。(^^;
)

大浦荘は、その麻生太吉の長男・麻生太右衛門の住宅でした。なお、麻生家の本家は柏の森にあります。
ちなみに、大浦というのは、この地にあった小字名からとったものです。

現在は普段は、麻生グループの会合や接待などに使われるとか。
こんなにも広ければ、申し分なしでしょうね。

畳廊下 フローリングの床とまた違ったぬくもりを感じます。


応接間 シャンデリアにソファー。和室とはまた違った雰囲気。


朝方は、雨で庭園が開放されなかったものの、庭園内に誰もいないちょっぴり贅沢なのが撮れたのがよかったかも。(それが本来の姿ですが。)



THE・和、といった感じですかね。(^^)





庭園が開放された昼過ぎにまた行ってみました。
邸宅を撮りたかったわけですがね。1枚目の写真もこのときに撮影。


こちらはソフトフォーカス風にしてみました。(^^;

曇りがちの空模様でしたが、そこまで逆光に気にせずに撮れたあたり、まだ良かったかもです。


春と秋の2回、一般に特別公開される、大浦荘。
春もまた暖かな陽気なので、いっそう良さそうですよね。



麻生大浦荘
福岡県飯塚市立岩1060  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影飯塚

2015年10月02日

ブラタモリで振り返る博多(#4)遺跡を発掘する

ブラタモリで振り返る博多……今回更新が最後です、一応。

タモリさんたちがやってきたのは、博多駅前通りで行われている、地下鉄七隈線延伸工事の現場です。
ここでは、地下鉄工事を前に発掘調査が実施されています。

この周辺に人が暮らしていたことが伺えるほど、時代ごとに土の層もちがい、遺物も蓄積されています。
タモリさんたちが収録した頃には、弥生時代頃のようなものが露出甕棺が見つかったり…。

↓4月下旬の時の様子。






お皿のようなものが露出しているのがわかります。



最近行った時には、すでに土砂を被せて埋め戻す作業が行われていました。
ついでにこんなものも発見…(^^;



最後…
エンディングに出てきたうどん屋は、『かろのうろん』でしたね。地元人なら1秒もかからないでわかったのでは。(^^)
タモリさんは『うどん平』が好きみたいですが、いろいろ絡んでのものと思われます。
店内は撮影禁止とされていますので、外観のみ。



かろの=かど(角)の、うろん=うどん です。
  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり地域情報

2015年09月29日

ブラタモリで振り返る博多(#3)聖福寺に隠された2つのヒミツ

ブラタモリで振り返る博多。


タモリさんたちは、博多鋏の製作工程を見た後、聖福寺へとやってきました。

日本最初の禅寺とされる聖福寺は、当時の博多の町の中では、一番高いところにあったとのこと。

なるほど!前に紹介した、東町筋の途中にある上り坂を直進すると、左手に聖福寺が見えますが、たしかに高い場所だということがわかる気がします。

総門がこうして石段になっているのは、歴史の積み重ねということになりますね。



さらにこの聖福寺境内には、太閤町割とそれ以前の古い町割の境界があるそう。

境内でいつも何気なく見かける野良猫たちが暮らしている、石畳の部分!
“く”の字のように屈折した石畳の半分、画像真ん中を境にして、奥に見える勅使門側が『太閤町割』部分、手前の山門や仏殿等があるほうが『古い町割』になるそうです。
聖福寺の創建は1195年で、太閤町割は1587年からとされていますから、400年間になにがあったのか…。




放送があるまで、境内でもこの部分はわざと曲がっているものと思っていましたが、そういう意味があったなんて、正直知りませんでした。


反対に、勅使門側から山門側をみると、こうです。




さらにさらに!
聖福寺以外のところでも、その2つの町割の境界が見られるそうで、聖福寺の北側へ。
ここでも道路が聖福寺と同じように屈折しているのがわかります。これも2つの町割の名残です。



(ふむっ!意外だニャ。(三度目の登場w))



タモリさんが少年時代に呉服町界隈で見たことがあるという池、『蓮池』はたしかにありました。
昭和40年代の博多部の町名再編で、現在はバス停でしか残っていません。




今回はここまで。最後は、あそこヘ向かいます!
  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり地域情報