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2017年09月04日

圧切長谷部(レプリカ)の刀身を見る

※公開期間は既に過ぎていることを承知の上で、ご覧ください。

舞鶴公園にある福岡城むかし探訪館で、黒田官兵衛が織田信長から拝領した、国宝「圧切長谷部」(へしきりはせべ)のレプリカを見てきました。(※本物は、福岡市博物館にて保管されています。)

普段は、鞘の中に納めて展示されていて、刀身の姿や形を見ることができませんが、鞘から抜いた状態での展示が、7月3日〜8月31日に行われました。

いつかは見なくては思っていたのですが、なんとか最終日に間に合いました。(^^)
レプリカとはいえ、やっぱり、見るとわくわくしますねぇ。







鍔には「南無妙法蓮華経」が刻まれています。





最近、刀剣ブームが来ていますね。大河ドラマやアプリゲームなどの影響でしょう。
本物は、福岡市博物館で不定期ながら公開されるので、今度はそっちも見たいものです。  


2015年06月01日

旧母里太兵衛邸長屋門の現地説明会と内部公開(20150530)

5月30日、舞鶴公園内にある『旧母里太兵衛邸長屋門』の現地説明会ならびに通常非公開の内部の見学会が開催されました。
昨年10月中旬から4月まで行われていた保存修復工事が行われ、その完了にともなうものです。

また、母里太兵衛の子孫でいらっしゃる母里市兵衛忠一氏による講話も行われました。

母里太兵衛といえば、大河ドラマ『軍師官兵衛』では、速水もこみちさんが演じましたね。(^^;





旧母里太兵衛邸長屋門について、ここで改めて…


福岡県指定文化財 旧母里太兵衛邸長屋門

 筑前今様の「酒は飲め飲め」で知られる母里太兵衛(母里但馬友信)は、黒田二十四騎の一人で、福島正則から名槍日本号を飲み取った豪傑として知られている。黒田長政が筑前入国後、六つの支城の一つ大隈城主となったが、慶長二十年(一六一五)六月六日病没した。
 現在の天神二丁目の野村証券株式会社の地は、母里太兵衛の当時の屋敷で、この長屋門はそこに構えられていた。武家屋敷長屋門として代表的なこの江戸時代の優れた建造物を末永く保存していくため、昭和三十一年に県の文化財に指定され、同四十年にこの地に移築されたもので、今もなお往時の姿を伝えている。

  昭和五十三年三月 福岡市教育委員会

(現地説明板より)


ということで、この長屋門は昔から現在地に建てられていたわけではなく、現在の野村證券福岡支店の地にあった、旧母里邸にありました。
明治以降の近代化や太平洋戦争の戦火などを免れた、福岡市内に残る唯一の武家屋敷の長屋門です。

戦後、復興に伴う、事業やビルの建設により、一時期、長屋門も消滅の危機を迎えます。
昭和24年、市内にある歴史的建造物を福岡城内に移築させて郷土博物館とする構想が浮上しました。
昭和27年に、長屋門の建物が野村證券から寄贈を受けて、いったん解体保存され、昭和31年4月に県指定文化財に指定されました。
移築場所については困難を極めたそうですが、昭和39年に現在地に決まりました。

移築復元工事は同年10月より着工し、翌40年3月末に竣工。
内部は解体される前に住宅として改造されていたため、専門家の研究を仰いで、できるだけ本来の姿に戻されました。

長屋門は福岡城内に移築されて保存されたものの、郷土博物館とする構想は実現することはありませんでした。

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今回の保存修復工事では、移築から約50年が経つとのことで、軸部や土台の腐朽が進んでいたために実施されたとのこと。
修理は現況復旧を原則として、屋根、小屋組み及び桁の一部については解体後、現況復旧。柱や土台は家揚げを行い、柱の根継ぎや土台の取り替え等が行われたそうです。


立派な門扉。


門扉の上部の冠木には、母里家の家紋らしきものが…(菱形のマーク)



護摩札。打ち付けられた経緯や目的についてはわかっていないという。




昭和39年移築当時の工事記念瓦。



今回の修復工事で蟻食被害が酷かった部材は、内部で保存されています。



長屋門南室の入口と内部のようす。中央部に上の部材が置かれています。


修復工事では、壁の漆喰が塗り直されたそう。天井はそのままらしいです。

内部公開は本当に貴重ですね。次回はいつ行われるかもわかりません。もしかしたら……。





―建物概要―
文化財指定: 福岡県指定(昭和31年4月)
建築年代: 江戸(構造形式により19世紀前半か)
構造及び型式: 長屋門、木造平屋建て、入母屋造、本瓦葺
規模: 桁行 21.06メートル、梁間4.0メートル、建築面積84.24平方メートル
改修履歴: 昭和40年移築、昭和57年屋根および壁改修



ところで、現在の野村證券福岡支店の地にあった母里太兵衛の屋敷ですが。
この並びには、のちに、伊藤伝右衛門の赤銅御殿ができるのです。偶然か?
当時はお屋敷も多かったといわれているので、伊藤伝右衛門は、わかっていた上で建てたのかもしれないですね。(^^;
(ご子孫でいらっしゃる忠一氏と個人的にお話しする機会にて)  


2014年03月28日

福岡城さくらまつり

福岡市のソメイヨシノの満開宣言が気象台にて発表された昨日27日、舞鶴公園にて『福岡城さくらまつり』が始まりました。来月6日まで行われる予定です。
昨年は開花が日本で一番早くて、会期も早まっただけに、今年のタイミングのよさには驚かされます。(^^;




天守台から


幸い好天にも恵まれましたねー。



しだれ桜はまだ先になりそう


夕方からは、ライトアップも開始!
昨日は、点灯式が行われました。

福岡黒田武将隊が登場!


黒田藩に伝わる陽流抱え大筒の号砲が鳴り、 ライトアップが始まりました。



伝・潮見櫓と下之橋御門
毎年人気の撮影スポットですね。




福岡城さくらまつり 公式サイト
http://saku-hana.jp/   


2014年03月09日

軍師官兵衛展(会期終了)

今年1月始め、福岡三越で『軍師官兵衛展』が開催されました。(会期終了)

NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』に関連する形で、出演者が着用する衣装などが展示されました。その他いろいろ。

撮影可能なエリアもあり、衣装などは撮影可能でした。(^^)


▼黒田官兵衛(孝高)役の岡田准一さん着用

生地の色使いは…


▼官兵衛の子供時代、万吉(幼名)役の若山耀人君着用

色使いは、大人になっても殆ど変わっていないのがわかりますね。


▼黒田職隆役の柴田恭兵さん着用

職隆は官兵衛の父。播磨姫路城の城主。当時の姫路城は立派な天守閣などまだなかったのですから、驚きといいますか…。


▼いわ役の戸田菜穂さん着用


官兵衛の母で、官兵衛は夫婦円満の家庭に育ちました。


▼織田信長役の江口洋介さん着用


尾張守。江口さんが信長とはカッコイイですね。

▼豊臣秀吉役の竹中直人さん着用

天下人に這い上がるわけですが。
竹中さんといえば1996年の『秀吉』でも秀吉役で、今回はそのことについて会見でも触れていましたね。


▼甲冑も展示されていました。




当時のものを忠実に再現するだけでも大変なのに、NHKがいかにお金をかけて制作しているかがよくわかる展示でした。  


Posted by けいたん at 09:00イベント関連軍師官兵衛関連

2014年02月23日

光雲神社

春には桜の名所として福岡市民に親しまれている西公園。
その歴史は古く、「荒戸山」とも呼ばれていました。
鴻臚館があった時代には、遣唐使船が発着していたようなそんな描写も見てとられます。

その西公園にあるのが、光雲神社。てるもじんじゃです。
この場所には、金龍寺という禅寺がありました。福岡藩2代藩主・忠之のとき、この山に徳川家康を祀る東照宮を建立。金龍寺は鳥飼に移されました。


光雲神社は、軍師官兵衛こと黒田孝高(如水)と福岡藩初代藩主となった黒田長政の親子を祭る神社として知られています。
光雲という名前は、如水の法名・龍光院殿と長政の法名・興雲院殿から一文字ずつ取ったもの。

光雲神社はもともと西公園ではなく福岡城内本丸にあり、明治4年に廃藩置県に際して小烏吉祥院跡いまの警固神社の近くに移転し、同8年に県社に昇格、同44年にいまの当地に移転。
昭和20年の福岡大空襲で被災し、同41年に再築した経緯があります。

境内には、民謡・黒田節のモデルとなった、黒田二十四騎の一人、友里(母里)太兵衛の銅像などもあります。


鳥居




社殿


母里太兵衛の実物大銅像。その手には、名槍日本号が。



大河ドラマの影響で、福岡を盛り上げる取り組みはこの絵馬にも。




つまらぬもの…動画でも撮ってみるなど。
絵馬が掛けられている梅がきれい。



桜の開花まであと1ヶ月ほど。賑やかになるときまたやって来ますね。(^^)  


Posted by けいたん at 09:00軍師官兵衛関連