2015年06月16日

戦後70年_福岡における戦時中の記憶(#2)

前回の続き。
『平和祈念資料展』で展示されたものから紹介です。

まず、今回の展示で気になっていたもの。

福岡城内(現在の舞鶴公園)にあった、歩兵第二十四連隊の記録写真集である『軍隊生活写真帳』。内容は文字通りです。

このなかには、福岡大空襲で焼失する前の黒田別邸の写真が載っていました。
黒田別邸は、明治になって黒田家が別邸として構えていた邸宅で、現在の中央区舞鶴にある福岡市消防本部庁舎の一帯にありました。いまはそこに黒田別邸跡の石碑があります。敷地面積は約3000坪を誇っていました。福岡城にあった武具櫓なども、この地に移築されていましたが、空襲で…残念です。




昭和天皇が視察で福岡にお越しなられたときには、宿泊所としても使われたそうな記述がありますね。
武具櫓だった建物の外観は他の資料で見たことがありますが、当時は立派な門もあったのです。門構えから、福岡城にあった本丸裏御門でしょうか。『黒田別邸』と記された表札も掲げてあります。

(余談:舞鶴公園内の武具櫓跡の発掘調査では礎石などが残っていたりしたこともあり、
福岡城や黒田別邸当時の古写真をもとにして、将来的な舞鶴公園のセントラルパーク構想のなかの一環で、復元される可能性が高いとみられています。)



携帯サイレン
提供者の父が福岡連隊の炊事班の班長をしていたことから、連隊近くの食料倉庫と連絡を取るために櫓に登って使っていたもの。
いつも腰につけていたため、福岡大空襲の際に鳴らしては『逃げろ』と叫びながら、火の海のなかを走ったという。
いまでも音が鳴ります。類似品で消防用サイレンがあるので、音がトラウマという人もいるかもしれません。




製造は矢萩製作所。昭和17年12月の刻印もあります。戦時中にもかかわらず、こういうのはしっかり作られていたのですね。
矢萩製作所でググると、山形県村山市にある同名の企業がヒットするのですが、どうも異形種。
京都府京田辺市に本社がある、現在の大阪サイレン製作所のことかもしれません。関係者の方がいらっしゃれば、お知らせください。(別に強制しているわけではありませんが、気になったもので。)



こちらは福岡大空襲時に博多湾上(現在の中央区の海岸)に落とされた不発弾とのこと。
海中でナパーム弾が漏れ出したという痕が残っているという…。




一方のこちらは、焼夷弾の破片。
現在の中央区大名で空襲後に拾われ、その後、個人で長らく保管されていたものらしいです。
大名や、軍の重要な司令部が置かれていた福岡城のあたりは、博多部とならんで空襲の被害が多かったとされるエリアですね。






当時の通知表。通告表というもがかた苦しく感じられます。
尋常小学校から国民学校に名称が変わっているのも、戦況が悪化する戦時中を物語ってます。
国民学校は、3年生から男女別だったそうです。
(余談:冷泉小学校は、平成に入り、児童数の減少で、御供所小学校、大浜小学校、奈良屋小学校とともに統廃合されて博多小学校になります。)




こちらは、戦地から家族に宛てて送られ続けたハガキです。
いまは使われることがない『軍事郵便』の消印が珍しい。ハガキとはいえ、検閲もされていたのですね。見た感じ、墨塗りにされた箇所はありませんでしたが。
内容はいずれも、近況というよりも、家族を気にする文面です。
送られた方は、残念ながら帰らぬ人となってしまったそうです。




今日はここまで。まだ続きます!



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