戦後70年_福岡における戦時中の記憶(#1)

けいたん

2015年06月15日 10:00

6月12~14日、福岡市赤煉瓦文化館で『第6回 平和祈念資料展』が開催されました。
これまでも毎年あっているのは知っていましたが、タイミングが合わなかったりでなかなか行けなかったのですが、今年は戦後70年という節目もあり、行ってきました。

米軍による福岡市への空襲は、昭和20年6月19日のこと。梅雨の中休みで、よく晴れた日だったそうです。
その日の夜、23時11分から翌20日0時53分までの約2時間、空襲が続きました。
当時の福岡市の1/4が被災し、とくに被害が大きかった奈良屋地区で300人が死亡し、184戸あった家屋も、残ったのは4戸だけだったという記録があります。


だから、展示会もこの時期の開催なのですね。

6月19日を前後にして、戦後、平和学習を実施する福岡市内の学校も少なくないと思います。
自分が小学生の頃も毎年あっていました。小学3年生の時(1995年)には、戦後50年を迎えましたね。
中沢啓治さん原作のアニメ映画『はだしのゲン』をみせられるなども覚えています。


で、本題。
正直にいって、はじめて目の当たりにするような貴重な資料ばかりでした。
展示物はほとんどが撮影も可能だったので、拙ブログでも載せていこうと思います。
毎年同じ展示物も多いですが、提供されることもあるのだとか。

提供品がほとんどを占めているため、展示物に名前などが載っているのもありますが、モザイクをかけるなどして伏せることなく、そのまま載せることにします。
戦時中、なにがあったかも、そこから見てとれるかとおもいます。



上厨子町家庭防空組合事務所の木札と旧日本軍の軍帽
防空組合とは、いまでいう消防団に近いみたいです。それをさらに細かくしたところ。
上厨子町は現在の冷泉町です。福岡大空襲では一部を除いて戦災を免れたところで、道幅も昔のままです。




飯ごうと水筒
日常生活に使うのはもちろん、従軍の際に持ち歩くなど、当時の必需品。



鉄かぶと
経年で錆び付いていますが、どっしりしています。爆弾避けとはいえ…。



防空頭巾
布製の綿入り頭巾で、爆弾攻撃などによる破片や火の粉から頭部を守るために作られた。空襲に備えて、いつも身に付けられていたという。
福岡大空襲は梅雨時だったこともあり、防空壕内の高湿と火の粉などの熱さもあり、頭は蒸れる覚悟だったでしょう。






千人針
戦場に行く人のために『武運長久』を願って、ひとり一針ずつ、1000人の女性から1000個の縫い玉を作ってもらった布のこと。
家族、友人、愛人その他…一人一人が…。





商人用ラッパ
文字通り、商人が使っていたのでしょうけど、用途はいまいちわからず。



当時の服装
俗に、国民服と呼ばれるものですね。
左は、海軍の制服として使われていたという、水兵服。



軍靴
陸軍将校用長靴だそう。



旧日本軍の軍隊手帳


1ページ目から内容が濃いです…。




今日はここまで。まだ続きます!

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