旧母里太兵衛邸長屋門の現地説明会と内部公開(20150530)

けいたん

2015年06月01日 10:00

5月30日、舞鶴公園内にある『旧母里太兵衛邸長屋門』の現地説明会ならびに通常非公開の内部の見学会が開催されました。
昨年10月中旬から4月まで行われていた保存修復工事が行われ、その完了にともなうものです。

また、母里太兵衛の子孫でいらっしゃる母里市兵衛忠一氏による講話も行われました。

母里太兵衛といえば、大河ドラマ『軍師官兵衛』では、速水もこみちさんが演じましたね。(^^;





旧母里太兵衛邸長屋門について、ここで改めて…


福岡県指定文化財 旧母里太兵衛邸長屋門

 筑前今様の「酒は飲め飲め」で知られる母里太兵衛(母里但馬友信)は、黒田二十四騎の一人で、福島正則から名槍日本号を飲み取った豪傑として知られている。黒田長政が筑前入国後、六つの支城の一つ大隈城主となったが、慶長二十年(一六一五)六月六日病没した。
 現在の天神二丁目の野村証券株式会社の地は、母里太兵衛の当時の屋敷で、この長屋門はそこに構えられていた。武家屋敷長屋門として代表的なこの江戸時代の優れた建造物を末永く保存していくため、昭和三十一年に県の文化財に指定され、同四十年にこの地に移築されたもので、今もなお往時の姿を伝えている。

  昭和五十三年三月 福岡市教育委員会

(現地説明板より)


ということで、この長屋門は昔から現在地に建てられていたわけではなく、現在の野村證券福岡支店の地にあった、旧母里邸にありました。
明治以降の近代化や太平洋戦争の戦火などを免れた、福岡市内に残る唯一の武家屋敷の長屋門です。

戦後、復興に伴う、事業やビルの建設により、一時期、長屋門も消滅の危機を迎えます。
昭和24年、市内にある歴史的建造物を福岡城内に移築させて郷土博物館とする構想が浮上しました。
昭和27年に、長屋門の建物が野村證券から寄贈を受けて、いったん解体保存され、昭和31年4月に県指定文化財に指定されました。
移築場所については困難を極めたそうですが、昭和39年に現在地に決まりました。

移築復元工事は同年10月より着工し、翌40年3月末に竣工。
内部は解体される前に住宅として改造されていたため、専門家の研究を仰いで、できるだけ本来の姿に戻されました。

長屋門は福岡城内に移築されて保存されたものの、郷土博物館とする構想は実現することはありませんでした。

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今回の保存修復工事では、移築から約50年が経つとのことで、軸部や土台の腐朽が進んでいたために実施されたとのこと。
修理は現況復旧を原則として、屋根、小屋組み及び桁の一部については解体後、現況復旧。柱や土台は家揚げを行い、柱の根継ぎや土台の取り替え等が行われたそうです。


立派な門扉。


門扉の上部の冠木には、母里家の家紋らしきものが…(菱形のマーク)



護摩札。打ち付けられた経緯や目的についてはわかっていないという。




昭和39年移築当時の工事記念瓦。



今回の修復工事で蟻食被害が酷かった部材は、内部で保存されています。



長屋門南室の入口と内部のようす。中央部に上の部材が置かれています。


修復工事では、壁の漆喰が塗り直されたそう。天井はそのままらしいです。

内部公開は本当に貴重ですね。次回はいつ行われるかもわかりません。もしかしたら……。





―建物概要―
文化財指定: 福岡県指定(昭和31年4月)
建築年代: 江戸(構造形式により19世紀前半か)
構造及び型式: 長屋門、木造平屋建て、入母屋造、本瓦葺
規模: 桁行 21.06メートル、梁間4.0メートル、建築面積84.24平方メートル
改修履歴: 昭和40年移築、昭和57年屋根および壁改修



ところで、現在の野村證券福岡支店の地にあった母里太兵衛の屋敷ですが。
この並びには、のちに、伊藤伝右衛門の赤銅御殿ができるのです。偶然か?
当時はお屋敷も多かったといわれているので、伊藤伝右衛門は、わかっていた上で建てたのかもしれないですね。(^^;
(ご子孫でいらっしゃる忠一氏と個人的にお話しする機会にて)

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