2016年06月05日

熊本城を見る2016(#8)天守閣群・宇土櫓・戌亥櫓 #熊本 #がんばろう熊本

熊本地震における熊本城の状況。ほぼ折り返し地点です。
今回はまず、天守閣から。

熊本城の天守閣は、1877年の西南戦争の直前に焼失してしまい、一時ない状態が続きましたが、その後、1960年に鉄筋コンクリート造りで再建されました。それ以来、熊本県民の誇りとして、あり続けています。
4月14日の前震で、全壊こそ免れたものの、とくに大天守のしゃちほこと瓦が無惨な状況になりました。

大天守のしゃちほこの1つが二の丸広場から見ることができるということで、よく見ると、真下の庇に乗っかっているのがわかります。(赤丸で囲った部分)


左の小天守の鬼瓦も傾いているのがみてとれます。



ちなみに!6月1日から、1ヶ月半ぶりに夜のライトアップが再開されました。次回、熊本訪問時には見て帰ろうと思います。

宇土櫓
宇土櫓は、国の重要文化財に指定されていますが、先の地震では、せり出している平左衛門丸長塀が倒壊してしまい、櫓の1階部分も一部が損壊しているのが確認できます。
二の丸広場から見る外観上は、とくに変化は見られないと思いますが、天守閣側からはどう見えるか…。


こうして、大小の天守閣と宇土櫓が並んで見るると圧巻です。
手前の西出丸長塀が倒壊しています。

(よくよく見ると、小天守は浮いている…?)




戌亥櫓
戌亥櫓は、熊本城復元整備計画によって、2003年8月に完成。木造二重三階の隅櫓で、総工費は約4億6千万円。

戌亥櫓もまた、武具櫓や飯田丸五階櫓と同様に石垣の崩落が著しく(とくに北側=2枚目の奥)、隅石だけで櫓を支えている箇所がありました。




(2016年5月13日、19日撮影)


ところで今日の朝日新聞によると、熊本城の石垣で完全に崩落したのは、約8000平方メートルにものぼり、それを含めた城全体で、3割近くの石垣の積み直しが必要とのこと。被害は想像以上だったのですね。


昨日、九州から東海まで一気に梅雨入りが発表されました。福岡では早くも、山笠の準備も始まりました。
  


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2016年06月01日

熊本城を見る2016(#7)城彩苑・未申櫓 #熊本 #がんばろう熊本

熊本城に来たら必ず立ち寄ることであろう、桜の馬場 城彩苑。

熊本城総合案内所やお土産屋などが軒を並べています。ちょっとした休憩にもおすすめです。
いつもは多くの観光客で賑わっているそうなのですが、地震発生から1ヶ月経っていても、人は疎らでした。
それでも開いているお店があると、こちらとしても、何としてでも応援したくなるものです。




そして、城彩苑から二の丸広場に抜ける間に未申櫓があります。「ひつじさる」です。
こうして、城彩苑の出入口からも見ることができますね。



未申櫓は、熊本城復元整備計画で2003年3月に完成しました。総工費は約3億円です。



未申櫓そのものに被害は見受けられないのですが、元太鼓櫓まで続く塀と石垣の一部が崩落、東側も石垣の一部が崩落しているのを確認できました。
これによって、遊歩道は通行止めになっています。





そのため、櫓の前から立ち入り規制。城彩苑のデッキから二の丸広場へは、法華坂を少し上がって、二の丸駐車場を通って行かなければなりません。


ちなみに現在、城彩苑前のロータリーから二の丸広場前まで、法華坂を通る迂回にはなりますが、無料シャトルバスも運行されています。こちらもおすすめしておきます。(写真でもわかるように、本来は、城彩苑~頬当御門の無料シャトルバスの車両です。)



(2016年5月13日、19日撮影)
  


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2016年05月25日

熊本城を見る2016(#6)飯田丸五階櫓 #熊本 #がんばろう熊本

今回は、飯田丸五階櫓です。
飯田丸五階櫓は、木造三重五階の隅櫓で、熊本城復元整備計画によって2005年2月に完成しました。かかった建築費用は約7億6千万円。

以前、熊本市役所から熊本城の一望で、飯田丸五階櫓は隅石だけでかろうじて櫓を支えているという光景を見ましたが、周囲からはどう見えるのか、気になるところですが、はたして。

以前も紹介しましたが、熊本交通センターから。
櫓も沈みこむように傾いています。(トリミング)



武具櫓の奥からひょっこり。外壁に亀裂が見られます。



城彩苑の裏手から。




崩落した石垣も含めて見たければ、市役所からのほうがいいかもしれません。地上レベルからでは現時点では分かりにくかったです。

(2016年5月13日、19日撮影)  


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2016年05月24日

熊本城を見る2016(#5)馬具櫓・櫨方門 #熊本 #がんばろう熊本

ただでさえ広い熊本城。
今回は、馬具櫓と櫨方門を見ていこうと思います。

まず、馬具櫓から。
馬具櫓は、熊本城復元整備計画において、もっとも最近、2014年9月に復元されたばかりの櫓でした。続塀を含めた整備費用は、約3億6千万円。(熊本城公式ホームページより)
1年半でこうなろうとは、誰が予想したことか。

見る角度によって、被害状況が違いますが、坪井川側の石垣の崩落が深刻です。





櫓の床も抜けているような?


飯田丸五階櫓もひょっこり見えます。



余談ながら、行幸橋のそば、下馬橋跡近くの石垣上にある『熊本城』の石碑。(写真は行幸橋側から)


見るからに、明後日の方向を向いているのが分かると思いますが…近くで警備されていた方によると、中の軸がずれたことによってそれが生じたのではないかとのこと。
そうであれば、軸がなかったり、揺れ方によっては、根元から折れてしまい、石碑は地面に落ちて、打ち付けられていたかもしれません。
そう思うと、この石碑がこのへんがどういう揺れが襲っていたかの手がかりになるかもしれません。

次に、櫨方門。
櫨方門の石垣にも大きな被害が出ていて、備前堀のほうにも石垣が流出しています。これ以上は立ち入れないので、どれだけの状況なのか詳細はよくわかりませんでした。




熊本城復元整備計画は、今後どうなるか…。

(2016年5月19日撮影)

ーーーーー
*熊本城災害復旧支援金*

熊本城は、平成28年熊本地震により甚大な被害を受けました。また、災害発生直後から、国内外から熊本城の修復再建に向けた励ましや支援のお申し出が多数寄せられております。
そこで、熊本市では、皆様からのご支援を募るための口座を開設しました。皆様からの温かいご支援をお願いいたします。

平成28年4月21日(木)~ 受付中

詳しくは…
http://www.manyou-kumamoto.jp/event/castle.cfm?id=1158
  


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2016年05月23日

熊本城を見る2016(#4)熊本城稲荷神社 #熊本 #がんばろう熊本

熊本大神宮と並んで建てられている、熊本城稲荷神社を見ていこうと思います。
熊本城稲荷神社は、加藤清正が肥後熊本に入国(天正元年)にあたり、熊本城の守り神として勧請されたという、由緒も深き神社になります。



お稲荷さんですから、朱色の鳥居が目に入りますが…柱と、上の貫と呼ばれるところの間に亀裂が入っていて、「鳥居崩落注意」の注意書きがぶら下げられています。
今度いつ大きな余震がきて、鳥居が崩落してもおかしくないところまで来ていることを思うと、何とも言えません。







拝殿へと上がる階段の前のブロックが右半分崩れてしまっています。地中の基礎のあたりが地震で緩くなってしまったのでしょうか…。



階段上がって、拝殿の外観はぱっと見では異常は見られません。



右手にある「辰巳大明神」などの仏像が完全に崩れています。


左手にある分社も立ち入り禁止になっているところもあります。(白玉大明神ほか)




拝殿の右奥から、ブルーシートを敷かれた熊本城の石垣の崩落現場も確認できます。



熊本城稲荷神社については、参拝は出来ますが、余震や落下物にはくれぐれもご注意ください。



(2016年5月19日撮影)
  


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2016年05月20日

熊本城を見る2016(#3)熊本交通センターから見る熊本城 #熊本 #がんばろう熊本



熊本交通センターは現在、一帯の再開発によって、一部の一般道路を完成の間までは借り上げていて、そこをバス発着所としています。
そのバス発着所から、熊本城を見ることができます。
晴れている日は、午前中の通勤時間帯あたりがおすすめ。
武具櫓と飯田丸五階櫓、そして大天守の3つが正面に見えます。

武具櫓は、バスなどによって見え隠れしていますが、しっかり見ることができます。

飯田丸五階櫓は、隅石だけでかろうじて櫓を支えていて、その右の続櫓のほうが微妙に湾曲しているのも見て取れます。

熊本城を見ることができる景観に配慮された開発を、これからも進めてほしいものです。

(2016年5月19日撮影)
  


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2016年05月18日

熊本城を見る2016(#2)東十八間櫓・北十八間櫓と熊本大神宮 #熊本 #がんばろう熊本

前回記事で、熊本市役所から、東十八間櫓と北十八間櫓の全壊ならびに熊本大神宮の社務所の被害を確認しましたが、その後、間近で見てきました。

東十八間櫓と北十八間櫓は、熊本城の築城当時から残っているとされている、国の重要文化財でした。

熊本大神宮は伊勢神宮などと同じでそこの分家。
社務所が完全に押し潰されています。言葉になりません。今後、二次被害も心配です。
神殿は見た感じ大丈夫みたいですが、中がどうなっているかが気になります。



熊本城稲荷神社との間にある駐車場奥の石垣も崩れています。


道路をはさんで隣接する高橋公園からのちょいと遠望。ブルーシートがかかっているところが、北十八間櫓。
どちらの櫓群がほぼ完全に跡形もなくなっています…残念。



本震が起こったとき、宿直所(かろうじて残った隣接した建屋)に2人の方がいたそうですが、奇跡的に助かったそうです。
間近でこれだけの被害を目の当たりにしているだけに、驚きを隠せないようで……。

現在、境内に入ることはできず、鳥居前にお賽銭箱が置かれています。
1日も早い神社の再建のためにも、少しばかりですが、お賽銭を入れさせていただきました。


熊本城編は、まだ続きますー。  


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2016年05月16日

熊本城を見る2016(#1)熊本市役所から見た惨状 #熊本 #がんばろう熊本

熊本地震から1ヵ月が経ちました。
熊本や阿蘇では、依然として余震が続いています。震度6強クラスの余震にも警戒しなければなりませんし、いままでもそうですが、これから先もそうですが、気温上昇や大雨にも十分警戒です。

現時点の熊本の状況を記録するべく、熊本に行って来ました。

順番が前後しますが、まずは、熊本城の全体を見渡せる熊本市役所14階の展望ロビーからの熊本城を見ていくことにしましょう。

一部だけですが、2014年5月撮影と比較しながら見ていくと、尚更分かりやすいかもしれません。(※1)


【天守閣群と本丸御殿】

地震後



地震前



14日の前震ならびに16日の本震で、天守閣群の瓦や大天守のしゃちほこが落下したり、破損するなど大きな被害が出ました。しゃちほこは地震後の調査で見つかったようですが…。
ここからは分かりにくいですが、地震後初めてとなる報道機関への城内の公開では、天守内部への出入口が完全に石垣に覆われているのがわかりました。尚更、展示物の状態も気になります。
本丸御殿の内部の被害については、報道でも取り上げられていないのでわかりませんが、せり出しているところの外壁にひび割れが確認できます。

また、その手前にある、【源之進櫓★(※2)、四間櫓★、十四間櫓★、七間櫓★、田子櫓★】の櫓群にも、漆喰の白壁が剥がれるなど被害が出ました。市役所からは、手前にある田子櫓の壁のひび割れも確認できます。


【飯田丸五階櫓】

地震後




地震前




前震で石垣の一部が崩落し、中の土砂も流出しましたが、本震でよりいっそう被害も酷かった櫓のひとつです。
報道でも幾度と紹介されていますが、ご覧のように、一部が隅石だけでかろうじて支えている状態です。
すでに床が大きく捲れていて、櫓が不自然に持ち上がっているのも確認できます。しかし今後、大きな揺れや突風などで隅石もろとも崩れて、櫓に大きな被害がでるのも、時間の問題かもしれません。

また、よくみると、飯田丸五階櫓の奥に写っている奉行丸の石垣の一部も崩落しているのも確認できます。

(わかりやすいように、同じような画像を連続で載せています。)

ここからは、地震後の写真のみ。


【東十八間櫓★と北十八間櫓★】



本震で石垣が崩落し、その上にあった櫓群も無惨にも倒壊。下にあった熊本大神宮(2枚目の写真右下)の建物(社務所と参集所) の屋根を突き被るなどして全壊したりと、二重の被害も出ました。
これ以上の被害を食い止めるべく、櫓のあったところには、大きなブルーシートが敷かれているのも見てとれます。


【数寄屋丸二階御広間】


周囲の樹木の合間からですが、熊本市役所からは石垣が崩落しているのが見えます。



【長塀★】


長さ232.44メートルにわたって続く石垣そのものには被害がないように見えますが、上の塀の一部が倒れています。


【平御櫓】


熊本市役所の目の前にある、須戸口門にある平御櫓の壁にもひび割れが確認できます。続いている塀の瓦もところどころ落ちています。


※1 地震前2014/5/16撮影、地震後2016/5/13撮影
※2 ★マークがついているものは、いずれも重要文化財。

以上、熊本市役所からの熊本城の被害状況をざっと紹介していきました。
こうしてみると、築城当時から残されている重要文化財のほうに被害が多く見受けられます。

次回以降の更新でも、周囲からの熊本城の被害状況をあげていきます。  


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2016年01月28日

歴史的大寒波と雪景色を撮る(20160124_福博巡り編1)

24日撮影分の続き。
舞鶴公園へ行ったあと、昼食も兼ねて、さすがにいったん帰宅しました。

まずは午前中、舞鶴公園へ行く途中に撮影したものから。

近所の大正通り。ご覧のように、道路はアイスバーンで一面の真っ白。これもなかなか見られない光景です。


そして、けやき通り。
途中で、激しく吹雪いてきました。西鉄バスも後輪にチェーンをつけての運行されていました。(24日、福岡市内の西鉄バスは20時で運休となりました…。)



ところ変わって、大名。雪だるまができていました。


警固公園も、一面の真っ白。



ソラリアターミナルビル(西鉄福岡駅改札口そば)から、天神きらめき通りを見下ろしてみました。


さらにそこから、櫛田神社へ。

前日の23日に設営されたばかりの、日本一のお多福面。



手水舎。一部が凍りついて、氷柱もできています。柄杓も凍っています…。




博多町家ふるさと館と…ここでまた吹雪いてきました。


大博通りに出てきました。いつもは交通量も多い主要道路もこの状態。




聖福寺へ。
猫たちはいませんでした。もしかしたら、寒さをしのいでどこかに行ったのかもしれませんね。




ということで、24日編は、まだ続きます。
  


Posted by けいたん at 10:00撮影史跡・遺産関連西鉄バス地域情報

2016年01月27日

歴史的大寒波と雪景色を撮る(20160124_舞鶴公園編)

1月24日~25日、日本列島を歴史的大寒波が襲いました。
福岡でも、24日の昼間の気温が氷点下となるなど、とくに25日にかけて、大雪、吹雪、路面凍結、さらに交通機関にも大きな影響がでました。積雪は、福岡市から南へ下るほど多かった印象を受けます。

そんな24日午前中、危険を省みずに舞鶴公園へと行ってきました。
近年ではなかなか見られない光景が、そこには広がっていました。

まずは福岡城大天守台から。
目の前の本丸跡がうっすら積もっているのも見て取れます。この撮影時点で、気象台ではマイナス3度を観測していたもよう。



江戸時代、福岡藩の武士たちはこのような真っ白になった城内、城下町の光景を、見られていたのであろうか。(^^;

天守台石垣。すべての方角から雪が降ったことが伺えますね。



表御門跡
石段で滑らないように、慎重に昇降しなくてはいけません。(^^;



多聞櫓


祈念櫓
祈念櫓の北側にあるテニスコートや西側に広がるラグビー場(水の手跡)は使用が停止となっていたので、一面真っ白でした。




東御門跡




平和台球場跡地周辺
一塁側内野スタンド付近
球場跡地北側一帯で行われていた鴻臚館跡の発掘調査がおわり、芝生養成だったりが行われています。ライト側で地吹雪が起こっているのも確認できます。ひょえー。



上之橋付近



この極寒の中、梅も芽を出して咲いていました。





改めて、福岡城は素晴らしい城であること認識させられました。  


Posted by けいたん at 09:00撮影史跡・遺産関連福岡城を歩く

2015年12月23日

筑豊を行く(#4)宿場町・飯塚の名残をみつける(1)

飯塚は江戸時代、長崎街道の宿場町(飯塚宿)として栄えてきました。
しかし、宝永7(1710)年と宝暦9(1795)年に大火に見舞われ、現在は宿場町の面影をとどめていません。
そこで、飯塚文化連合会によって、石碑が建てられています。

今回はそのなかから、麻生大浦荘と嘉穂劇場に行った日に見つけた、3箇所の石碑をまとめて紹介しようとおもいます。

解説は、飯塚観光協会のサイトによる情報を引用させていただきました。
住所については、Googleマップをもとに調べています。

東構口跡 (ひがしかまえぐちあと)

東構口跡石碑は本町入口の前角に建っています。博多往還の南側に構口はあり、現石碑の対面に位置していました。飯塚宿の場合、構口はかつては北・南の呼称を使用していましたが、現在は東・西構口と呼んでいます。

(飯塚市宮町。本町入口交差点そば。※寶月樓跡の石碑が右奥に見えています。なお、観光協会の解説でローソンの名前が出てきたのですがすでに閉店済みにつき、その点は削除。)

寶月樓跡 (ほうげつろうあと)

嚢祖八幡宮鳥居前に帯屋の古川直道の別荘「寶月樓」がありました。寶月樓は前は通行盛んな街道に面し、裏は飯塚川の清流を臨み、東に関の山・英彦山、北に福智の山並みが遠望できる大変風情のある優雅な建物でした。飯塚の文人墨客がここに集い、特に歌人たちは時代を先取りする精神が旺盛で、のちに日本の近代短歌の開拓者として高く評価されるようになる博多の大隈言道を飯塚に招き教えを受けました。大隈言道は嘉永2年(1849)から安政5年(1858)までの10年間、飯塚の門弟の指導を行い歌学の研究に没頭しました。

(飯塚市宮町。※東構口跡の石碑の数十m先にあります。)

住吉宮跡 (すみよしぐうあと)

飯塚宿は陸路の要衝のみならず、ヒラタ船の上下する運河の重要拠点でもありました。寛政7年(1795)市橋小太夫が夢のお告げで石像神体を川底から引き上げ、水神として祭ったと伝えられています。飯塚川に接するこの付近は船頭町で、住吉神社を祭り水路の安全が祈願されました。住吉宮はその後嚢祖八幡宮に合祠されました。境内に植えられた銀杏の大樹は、シメ縄を張り御神木として保護されていましたが、昭和38年飯塚市役所が移転し飯塚郵便局が建設されるに及びその姿を消しました。

(飯塚市本町。飯塚郵便局前)

寶月樓で出てきた大隈言道は、現在の福岡市中央区今泉付近の生まれ。今泉公園のところにはかつてささのや園があり、彼の墓所は香正寺にあります。
どうやって飯塚まで行き来されていたのか、個人的に気になるところです。(山家(冷水峠)経由だとしたら遠回りで…)
  


Posted by けいたん at 10:00撮影史跡・遺産関連飯塚

2015年08月20日

明治日本の産業革命遺産の世界遺産登録記念のラッピング電車(西鉄&JR九州)

7月5日、明治日本の産業革命遺産がユネスコの世界文化遺産への登録を受けました。
(政府などでは「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」という名称を用いている。)

福岡県では、北九州の八幡製鉄所や大牟田の宮原抗跡などが含まれていて、県内でははじめての世界遺産となりました。

それを記念したラッピング電車が、西鉄とJR九州でそれぞれ期間限定で運行されています。

ラッピングの内容は同じかと思いきや、やはり同業他社とあって、違いますね。


西鉄は、8000形8011F編成。




JR九州は、811系PM-5編成。




どちらも、ヘッドマークがないのが残念ですが。(^^;



世界遺産になったところ以外にも、福岡県内には数多くの観光スポットがあるので、これを機に、もっと観光客を呼び込んでほしいものですね。
  


Posted by けいたん at 10:00西鉄(電車)撮影史跡・遺産関連

2015年06月01日

旧母里太兵衛邸長屋門の現地説明会と内部公開(20150530)

5月30日、舞鶴公園内にある『旧母里太兵衛邸長屋門』の現地説明会ならびに通常非公開の内部の見学会が開催されました。
昨年10月中旬から4月まで行われていた保存修復工事が行われ、その完了にともなうものです。

また、母里太兵衛の子孫でいらっしゃる母里市兵衛忠一氏による講話も行われました。

母里太兵衛といえば、大河ドラマ『軍師官兵衛』では、速水もこみちさんが演じましたね。(^^;





旧母里太兵衛邸長屋門について、ここで改めて…


福岡県指定文化財 旧母里太兵衛邸長屋門

 筑前今様の「酒は飲め飲め」で知られる母里太兵衛(母里但馬友信)は、黒田二十四騎の一人で、福島正則から名槍日本号を飲み取った豪傑として知られている。黒田長政が筑前入国後、六つの支城の一つ大隈城主となったが、慶長二十年(一六一五)六月六日病没した。
 現在の天神二丁目の野村証券株式会社の地は、母里太兵衛の当時の屋敷で、この長屋門はそこに構えられていた。武家屋敷長屋門として代表的なこの江戸時代の優れた建造物を末永く保存していくため、昭和三十一年に県の文化財に指定され、同四十年にこの地に移築されたもので、今もなお往時の姿を伝えている。

  昭和五十三年三月 福岡市教育委員会

(現地説明板より)


ということで、この長屋門は昔から現在地に建てられていたわけではなく、現在の野村證券福岡支店の地にあった、旧母里邸にありました。
明治以降の近代化や太平洋戦争の戦火などを免れた、福岡市内に残る唯一の武家屋敷の長屋門です。

戦後、復興に伴う、事業やビルの建設により、一時期、長屋門も消滅の危機を迎えます。
昭和24年、市内にある歴史的建造物を福岡城内に移築させて郷土博物館とする構想が浮上しました。
昭和27年に、長屋門の建物が野村證券から寄贈を受けて、いったん解体保存され、昭和31年4月に県指定文化財に指定されました。
移築場所については困難を極めたそうですが、昭和39年に現在地に決まりました。

移築復元工事は同年10月より着工し、翌40年3月末に竣工。
内部は解体される前に住宅として改造されていたため、専門家の研究を仰いで、できるだけ本来の姿に戻されました。

長屋門は福岡城内に移築されて保存されたものの、郷土博物館とする構想は実現することはありませんでした。

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今回の保存修復工事では、移築から約50年が経つとのことで、軸部や土台の腐朽が進んでいたために実施されたとのこと。
修理は現況復旧を原則として、屋根、小屋組み及び桁の一部については解体後、現況復旧。柱や土台は家揚げを行い、柱の根継ぎや土台の取り替え等が行われたそうです。


立派な門扉。


門扉の上部の冠木には、母里家の家紋らしきものが…(菱形のマーク)



護摩札。打ち付けられた経緯や目的についてはわかっていないという。




昭和39年移築当時の工事記念瓦。



今回の修復工事で蟻食被害が酷かった部材は、内部で保存されています。



長屋門南室の入口と内部のようす。中央部に上の部材が置かれています。


修復工事では、壁の漆喰が塗り直されたそう。天井はそのままらしいです。

内部公開は本当に貴重ですね。次回はいつ行われるかもわかりません。もしかしたら……。





―建物概要―
文化財指定: 福岡県指定(昭和31年4月)
建築年代: 江戸(構造形式により19世紀前半か)
構造及び型式: 長屋門、木造平屋建て、入母屋造、本瓦葺
規模: 桁行 21.06メートル、梁間4.0メートル、建築面積84.24平方メートル
改修履歴: 昭和40年移築、昭和57年屋根および壁改修



ところで、現在の野村證券福岡支店の地にあった母里太兵衛の屋敷ですが。
この並びには、のちに、伊藤伝右衛門の赤銅御殿ができるのです。偶然か?
当時はお屋敷も多かったといわれているので、伊藤伝右衛門は、わかっていた上で建てたのかもしれないですね。(^^;
(ご子孫でいらっしゃる忠一氏と個人的にお話しする機会にて)  


2015年01月16日

伊藤伝右衛門の別邸・赤銅御殿の煉瓦塀

炭鉱王としても知られた、伊藤伝右衛門。

伝右衛門は、飯塚市の本邸の他に 「赤銅御殿(あかがねごてん)」と呼ばれる豪華な別邸も所有していて、そのひとつが福岡の天神町(いまの中央区天神2丁目)にありました。
屋根を全部銅で葺いていたので、赤銅御殿と呼ばれていたそうです。

伝右衛門はその別邸を、柳原白蓮のために大改装しました。
しかし、1921年、完工直後に白蓮と離婚してしまい、この別邸を白蓮が使用することはありませんでした。
1927年には、漏電による火災で焼失してしまいます。


現在、当時の赤銅御殿の煉瓦造りの塀の名残が、福岡証券取引所の裏手、伊藤ビルの敷地内の昭和通りに面したところから、わずかに見ることができます。






伊藤ビルの所有者は、伝右衛門の直系のご子孫さんということで、なにか縁を感じさせてくれます。  


Posted by けいたん at 09:00史跡・遺産関連

2014年12月18日

旧西鉄折尾高架橋

2000年に廃止となった、西鉄北九州線。
その西の起点であった西鉄折尾駅は、まさにJR折尾駅の駅前ロータリーを挟んだところにありました。

西鉄折尾駅が入居していた西鉄折尾駅ビルは、JR折尾駅の再開発ですでに解体されています。

しかし、西鉄折尾駅の遺構がいまも残されている…。

それが、“ ねじりまんぽ ”とよばでる、独特の煉瓦積み手法が用いられたトンネル。

1914年、九州電気軌道(現在の西鉄)が黒崎駅前~折尾間に鉄道を敷設することに伴い、起点方(東側)3径間と終点方(西側)6径間の、煉瓦造りのアーチ橋からなっています。

終点方のアーチ橋すべては、前述の西鉄折尾駅ビルの建設時と昨今の折尾駅周辺の再開発に伴って、完全に撤去されてしまいました。

唯一残っている起点方のアーチ橋のうち、『ねじりまんぽ』が見られるのは左の車道側で、現存する『ねじりまんぽ』では、日本最大規模とも言われています。
真ん中と右の2本は普通の積み方です。






西鉄北九州線は、この上に敷設されていたのです。
筑豊本線の上を越えて、西鉄折尾駅ビルに繋がっていたわけですね。


アーチ橋の近くにあった境界柱。西鉄の旧社章である車輪ロゴ!



貴重な、近代化遺産のひとつ。見落としていました。(^^;
  


Posted by けいたん at 09:00撮影史跡・遺産関連

2014年09月29日

福岡城跡上之橋御門跡石垣の近況(201408)

2013年4月から更新が停滞していた、福岡城跡上之橋御門跡石垣の近況。(^^;

近くとはいえ、なかなかじっくり見ることは少なく…。
1ヶ月近く前の撮影になりますが、無事に石垣の積み直しが完了し、一般公開されています。

蔦や汚れが落ち、綺麗になっていますよー。
福岡城ができた1600年代当時も、こんなに綺麗な石垣に囲まれていたんだろうと想像すると、胸が高まります。(^^;











現在、福岡城の復元に向けて寄付金の募集が始まっていますが、上之橋御門の復元に関しては、まだのようです。
裁判所もいずれは移転予定なので、その跡地での発掘調査はあると思いますが、果たして…。  


Posted by けいたん at 09:00史跡・遺産関連

2014年05月20日

熊本日帰り旅2014(#2)熊本市役所から熊本城を見る

今回の熊本日帰り旅では時間の都合もあり、熊本城天守閣まで上がる余裕はなく…。

熊本城を見渡せるスポットで、気軽なところへとやってきました。

それが、熊本市役所になります!
熊本市役所の14階からは、市内が一望できる展望スペースがあり、当然、熊本城もドドーンと見ることができます。

14階までは、エレベーターで上がってくださいね。

入場料ナシ!
夜22時まで開いているので、ライトアップされたお城が見れるらしい。(今度までお預けかなー。(^^;


天守閣と本丸御殿、田子櫓等櫓群



飯田丸五階櫓(手前)と未申櫓




平日だったこともあり、思わず独り占めしてしまいました。(^.^)


熊本市役所

熊本市中央区手取本町1-1
営業時間…平日は8:30~22:00、閉庁日は10:00~22:00
休み…年末年始  


Posted by けいたん at 09:00史跡・遺産関連熊本熊本城

2014年03月28日

福岡城さくらまつり

福岡市のソメイヨシノの満開宣言が気象台にて発表された昨日27日、舞鶴公園にて『福岡城さくらまつり』が始まりました。来月6日まで行われる予定です。
昨年は開花が日本で一番早くて、会期も早まっただけに、今年のタイミングのよさには驚かされます。(^^;




天守台から


幸い好天にも恵まれましたねー。



しだれ桜はまだ先になりそう


夕方からは、ライトアップも開始!
昨日は、点灯式が行われました。

福岡黒田武将隊が登場!


黒田藩に伝わる陽流抱え大筒の号砲が鳴り、 ライトアップが始まりました。



伝・潮見櫓と下之橋御門
毎年人気の撮影スポットですね。




福岡城さくらまつり 公式サイト
http://saku-hana.jp/   


2014年01月15日

志免鉱業所竪坑櫓と志免鉄道記念公園

せっかく中の坪公園でSLをみたのだから、歩いてすぐそばの志免鉱業所竪坑櫓と志免鉄道記念公園まで足を伸ばしました。

志免鉱業所竪坑櫓は、日本海軍が1943年に完成させたもの。
高さ53.6メートルで、設計者は第四海軍燃料廠長の猪俣昇とのこと。

戦中真っ只中でありながら、鉄筋コンクリート造で建設されて「東洋一の竪坑」などと呼ばれてきました。
志免炭鉱の閉山は、1964年。

いまでこそ、志免町のシンボル的存在ですが、その歴史を紐解くと、すごいですね。





ボタ山も残されていますね。

2009年には国の重要文化財にも指定されていて、周囲は、金網でおおわれています。
それでも周辺から360度見渡せるから、カッコイイものですね。

午前中は、隣接する公園の滑り台のてっぺんから見るのもおすすめです。3枚目の写真。(^^)



現在は、現状のまま保存されている状況にあり、内部は一切立ち入ることさえできません。
恐らく、許可も下りないでしょうね。閉山から50年といっても、たぶんないかも。。

貴重な近代産業遺産ですから、見届けるしかないかも。

しかし、何度か来たことがありますが、大人になって振りかえると、また違って見えますね。



志免鉄道記念公園は、旧国鉄の勝田線の志免駅跡地一帯を整備してつくられた公園です。
ホームと線路、腕木式信号などが残されています。




駅名標はモニュメント…


とはいっても、道路で分断されていたり、現状のままではなかったりです。


福岡空港から近いとはいえ、東平尾公園あたりの山が遮っていうこともあり、静かなところです。近場でありながら、不思議なところですね。  


Posted by けいたん at 09:00史跡・遺産関連

2013年12月26日

国境石

国道3号線沿い、福岡県と佐賀県の県境にポツンとある「国境石」を取り上げたいと思います。


まず、この辺りに「三国境」という交差点名があるとおり、かつては、筑前国、筑後国、肥前国の境界がここにあたりました。








<国境石について…現地案内板より>

国境石(くにざかいいし)

この境石は、肥前国(現在の佐賀県)と筑前国(現在の福岡県)の境界を示すものとして、文化4年(1807)に対馬藩と黒田藩との話し合いによって建てられました。もとは、ここより東側約15メートルのところに建っていました。しかし、昭和60年度より一般国道3号のバイパス建設が行われたときに、境石の履石(基礎石)と南北の傍示石はマンホールを建設してバイパス地下に現地保存して、その姿をここに復元しました。
当時、境石の建っていた地点は、国境の野地でそこに境界の「標」と考えられる松の木がありました。その松の木が枯れたの機会に境石を建てる議論が起こり、対馬藩は城戸村の庄屋、黒田藩は原田村の庄屋が交渉にあたりました。しかし、枯れた松の位置や野地の分け方について話し合いがつかなかったので境石の建設には、2ヶ年の歳月がかかりました。
境石の南側10.9メートルと北側11.8メートルの地点には、傍示石があります。境石と傍示石は、二本の石柱を背中合わせにし、それぞれ「従是西肥前国対州領(これよりにしひぜんのくにたいしゅうりょう)」「従是東筑前国(これよりひがしちくぜんのくに)」ときざんでいます。また、これらの背中合わせにした線を両国の境界としています。
境石は、高さ2.6メートル、太さ28センチメートル角の石柱で地中の履石にはめこまれています。また、傍示石の高さは、南側のものが1.5メートル、北側のものが1.2メートルです。太さはいずれも18センチメートル角で境石と同様に地中の履石にはめこまれています。

昭和63年3月 建設
国土交通省九州地方整備局






対州とは、対馬のこと。
しかし、対馬国が肥前国に領地を持っていたのですね。知りませんでした。(^^;

三国境ということで、筑後国のものもどこかにあると思います。  


Posted by けいたん at 09:00名所めぐり史跡・遺産関連