2013年04月04日
福岡城跡上之橋御門跡石垣の近況(201304)
昨年公開した、福岡城跡上之橋御門跡の石垣の修復作業の近況。
だいぶ石垣が除去されてきています。
現場から積み出された石垣は、旧平和台球場跡地に、石垣ごとに番号が振られて置かれています。
そうそう、先月はじめにこういう記事が掲載されていました。
福岡城跡に土塀の柱穴 福岡市「全体の構造解明期待」
福岡市が復元に向けて整備を進める国史跡の福岡城跡(中央区城内)から、土塀を支える掘っ立て柱の穴が見つかった。城跡には江戸時代の土塀や柱は残っておらず、その遺構が見つかったのは初めて。市は「福岡城全体の塀の構造を解明する上で貴重な資料となる。城の正確な復元に弾みがつく」と期待している。
市大規模史跡整備推進課によると、柱穴があったのは城の表玄関だった上之橋(かみのはし)御門。昨年7月から始めた門北側の石垣(高さ10メートル、幅28メートル、奥行き10メートル)の修復工事に伴い、表面の築石(つきいし)や背後の土などを約1・1メートル分取り除いたところ、柱穴が18カ所見つかった。
直径約1・3~1・5メートル、深さは約1メートルで、等間隔で並んでいることなどから、柱の跡とほぼ断定した。修復工事に伴い、既に崩されており、市は写真や図面などの記録を保存している。
絵図や古写真では、福岡城には総延長3キロ以上の石垣があり、その一部には漆喰(しっくい)を塗られた高さ2メートル程度の土塀が上に築かれていたとされる。だが、土塀や柱は石垣と比べ構造がもろく、明治以降に解体や建て替えが進んだため、江戸期の塀は現存しておらず、福岡城復元の課題となっていた。
柱穴からは瓦などの遺物も見つかっており、同課は「今後、出土品の年代や文献資料を分析し、造られた年代や、土塀の構造の特定につなげたい」としている。
=2013/03/08付 西日本新聞朝刊=
ブルーシートで覆われている部分かなと、思います。
福岡城さくらまつりが終わり、舞鶴公園の桜もずいぶん葉桜になりましたね。
これから新緑です。(^-^)
だいぶ石垣が除去されてきています。
現場から積み出された石垣は、旧平和台球場跡地に、石垣ごとに番号が振られて置かれています。
そうそう、先月はじめにこういう記事が掲載されていました。
福岡城跡に土塀の柱穴 福岡市「全体の構造解明期待」
福岡市が復元に向けて整備を進める国史跡の福岡城跡(中央区城内)から、土塀を支える掘っ立て柱の穴が見つかった。城跡には江戸時代の土塀や柱は残っておらず、その遺構が見つかったのは初めて。市は「福岡城全体の塀の構造を解明する上で貴重な資料となる。城の正確な復元に弾みがつく」と期待している。
市大規模史跡整備推進課によると、柱穴があったのは城の表玄関だった上之橋(かみのはし)御門。昨年7月から始めた門北側の石垣(高さ10メートル、幅28メートル、奥行き10メートル)の修復工事に伴い、表面の築石(つきいし)や背後の土などを約1・1メートル分取り除いたところ、柱穴が18カ所見つかった。
直径約1・3~1・5メートル、深さは約1メートルで、等間隔で並んでいることなどから、柱の跡とほぼ断定した。修復工事に伴い、既に崩されており、市は写真や図面などの記録を保存している。
絵図や古写真では、福岡城には総延長3キロ以上の石垣があり、その一部には漆喰(しっくい)を塗られた高さ2メートル程度の土塀が上に築かれていたとされる。だが、土塀や柱は石垣と比べ構造がもろく、明治以降に解体や建て替えが進んだため、江戸期の塀は現存しておらず、福岡城復元の課題となっていた。
柱穴からは瓦などの遺物も見つかっており、同課は「今後、出土品の年代や文献資料を分析し、造られた年代や、土塀の構造の特定につなげたい」としている。
=2013/03/08付 西日本新聞朝刊=
ブルーシートで覆われている部分かなと、思います。
福岡城さくらまつりが終わり、舞鶴公園の桜もずいぶん葉桜になりましたね。
これから新緑です。(^-^)
Posted by けいたん at 09:00
│史跡・遺産関連