2012年05月18日

太宰府巡り(#4)―大宰府学校院跡

古代、学校院は「府の学校」と呼ばれ、大宰府管内九国二島の国司の子弟教育を目的として設置されたもので、中央政府の「大学」にあたるものでした。「府学校」には、明経博士・音博士・明法博士が置かれ、天応元年(781年)の官符には、「管内六国の学生・医生・算生二百余人」とあり、かなりの活況を呈していたようです。
その正確な位置は、未だ確認されていませんが、政庁と観世音寺の間の方二町がその区域と推定されています。
また、発掘調査が始まる以前から、他の地域に比べて文様せんが多く出土しています。正方形・長方形・三角形のものが見られ、学校院の特徴の一つともされています。
(太宰府市『太宰府市史 考古資料編』より)






※シリーズ#2~#4の各本文は、西都 太宰府さんより引用です。m(_ _)m
 



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