2011年05月08日

皆様にご報告を……

ようやく心の整理ができましたので、この場を借りて皆様にご報告をいたします。
なお、この記事のコメントにつきまして、下の追記において記載していますので、改めてご確認ください。







突然ではありますが、5月3日、父が亡くなりました。

3月中旬に肝臓がんと宣告されて入院し、4月27日に退院してきました。
その間にお見舞いは3回ぐらいしかしていません。家族だからって、そう話すことないですからね。

もとはC型肝炎をかれこれ20年近く患っていましたので、肝臓系の病になるリスクはあったのです。

退院したあとは、病院から程近い、職場の事務所としても借りているマンションの一室で寝泊まりするようになり、検診のために通院もありました。
その間にも「痛い」とは言っていました。


連休明けには、安静のためにも父の姉の自宅のほうに行ってもらう予定で準備も進んでいました。





ことは3日夕方、事務所の中で父がTさん(社長)に電話したものの、Tさんが声をかけても父はすでに応答しなかったらしいのです。
その異変に気づいて、すぐに駆けつけてくれて、そのとき、すでにひどく吐血していて意識がない状態で倒れていたらしく、すぐ救急車を呼んでくれたそうです。
ボクが連絡を受けたのがちょうどどんたく見物のあとでしたので、その場で真っ先に病院に行きましたが、すでに搬送され、救急治療室に入ったあとでした。



ボク自身、母に兄、父の両親(祖父母)と実姉2人が揃ったところで、医師から、いまの状況と処置の仕方を話し合いました。
ICUでカメラを飲ませて症状を確認するということ、延命処置(心臓マッサージなど)はしないことで同意。
ただ、この方法であっても、ほぼ助からないとのことでした。

その後、救急治療室に入ることが許されました。
救急治療室で息苦しそうに息をしていました(化学呼吸?というものらしい)が、意識が朦朧としたなか、目は開いていました。


みんなが来ていることがわかっているんですかね。
微かに「うぅ〜」ということしか…。


しかし、
「オシッコ行きたい」
(トイレはいまの姿勢ではできないので、紙オムツした状態でなければダメ。)

「水が飲みたい」
(酸素補給器は外せないので、顔を湿らせる程度ならばいいという。)

(どちらもあとで看護士さんたちにやってもらったようですが。)



と、言っているではないですか。
失礼ながら、いま思えば本当に笑えますが、多分、この2つが、ボクが聞いた最後の言葉です。



その後、ICUでカメラを飲ませて確認…という予定だったのですが、すでに破裂している状態で、もう限界だとのことで呼ばれて、中へ……

目はうっすらと開いていても、息はすでにしていない。
言葉にならず、手を握ってあげることしかできませんでした。

そして、みんなに見届けられながら、両親(祖父母)をも残して、父は54年の生涯を終えて、旅立ちました。







5日に通夜、翌6日に葬儀・告別式がありました。
身内だけかとみたのですが、Tさんをはじめ父が生前にお世話になった方々が参列していただきました。
この場を借りて、ありがとうございました。

棺桶に入る前、控え室で布団に覆われて眠る父の顔を見ました。
病院で綺麗にしてもらったおかげもありますが、顔色もよくて、本当に寝ているようでした。いまにも「おはよう」とか冗談混じりでみんなに言ってきて、起きそうな予感…いやいや、言ってほしかったよ、オヤジ。

棺桶に入ったあとも、参列してくださった皆様からもそう言われていたのを見ていました。


その場でボクはなにも父について語ることはできませんでしたが語れなかった分、それは皆さんが一番わかってくれていることでしょうし、父はいつかみんなに寄り添ってくれます。


通夜の日、窓辺で星空を見上げながら、ボクは泣きました。
いまだに父の死を受け入れられないおもいと、これから天国でお世話になるために、先人への挨拶をと…。(父方のご先祖様はあまり存じあげないのですが。)




生前、サラリーマンというわけでもなく、ずっと自営業をしてきたとはいえ、あまり頼れないような生き方をしてきた父でしたので、あらゆる方に迷惑をかけたかもしれません。
それはいまも事実として、受け入れています。

でも、これだけたくさんお世話になった方々がいるだけでも、父は幸せ者なのです。


ボクとしては、そんな父と、普通の母との間で、次男坊として生まれてこれただけでも嬉しく思います。

祖父から少年時代の父の話を伺いましたが、本当に、いまの父らしい、少年の日々だったことでしょうね。






オヤジ!!、本当にありがとう。
これからは、そばで見守ってください。オヤジがひとりひとりのそばにいてくれたほうが、残された家族と友人たちも幸せになれます。


そして、いつになるかはわからないけど、ボクが結婚するときは、オヤジの遺影を母のそばに置いていいよね。
ぜひとも、そこからボクの晴れ姿を見てください。それが、ボクからの精一杯の親孝行となると思っています。





ほら、思い出してください。

あのとき、ボクや兄貴を、おんぶや肩車をしてくれたことや、お風呂に一緒に入ったときのことを。

お母さんと夫婦喧嘩して、ボクがお母さんをかばって止めに入ったことを。

オヤジが当時営んでいたブティックに遊びに行き、一緒にアイスクリームを食べたことを。




………




いま思えば、オヤジはいつも笑顔を絶やさなかった。
家庭では穏和な人だったので、そんなに親子喧嘩っていうものもなかったです。


そんなオヤジのニコニコした表情は、ボクも兄貴も、遺伝子として受け継いでいますよ。



でも、オヤジ。
もっと、もっと。オヤジと一緒にやりたかったことがいっぱいあったよね。

退院したとき、「お姉さんのお世話になるから、いつかみんなで遊びにおいでよ。」って、言ってくれたじゃない。
それが、ボクが聞いた、最後のうそつきになったね。

もう一度食事したり、一緒に旅にも行きたかったな。


天国に行けば、ご先祖様が待っとうけんね。もう、つらいことはなかたい。
でも、「若すぎるやないとね?」と声をかけてもらうかもしれんけど、ずっと、その笑顔でいてください。


なにかあったら、いつも手を合わせるけんね。

じいちゃんとばあちゃんにはいつまでも長生きしてもらいたいし、猫もおるけん、仏前では迷惑をかけないでください。



この文章を綴り、読み返すだけでも、涙が止まらないよ。
こっちがつらいよ、オヤジ。

本当だったら、通夜や告別式にて言いたかったけど、言わなかったね。ごめんなさいです。








お骨になった父を見て、改めて亡くなったことを実感しました。
もう、取り返しはつかないと…。

箸でお骨を摘むときに震えはしなかったのですが、複雑な心境でした。






オヤジ、また会えるときまで、さようなら。

この記事にたいしてのコメントをいただくのは、亡き父としても「おまえも恵まれているな」と、きっと思っているでしょうから、受け付けますが、承認制とし、こちらで拝読するだけにしたいとおもいます。
(つまり、コメントをいただいても承認はせずに非公開のまま保存。ただし、不適切な内容は削除します。)

facebookなんかで記事を連動させているサイトもありますが、そこについても、こちらに直接コメントを添えてくださればとおもいます。
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