2015年09月03日

西新駅の壁に残る、よかトピアの大型宣伝広告

西新駅の壁に残る、よかトピアの大型宣伝広告

福岡市地下鉄空港線の西新駅の改札内のコンコースに、懐かしいものがいまも掲げてあります。

市制施行100周年を記念して1989年に、福岡タワーを中心にシーサイドももち周辺で行われた、『アジア太平洋博覧会』…通称『よかトピア』の大型宣伝広告。
西新駅は、会場最寄り駅となっていました。

いまも当時から残るのは、福岡タワーと福岡市博物館程度。
観覧車は荒尾のグリーンランドに移されました。

会期は、3月17日~9月3日。あれからもう27年が経つんですね。
自分も家族に連れられて、福岡タワーの展望室なんかに行きました。(たいした記憶なしw)

この『よかとピア』のキャラクターデザインを手掛けたのは、手塚治虫氏。
男の子が『太平君』で、女の子が『洋子ちゃん』という名前がつけられています。
(手塚治虫氏は、よかとピアの開幕を待たずにお亡くなりになりました。)

西新駅にいつまでも残されているのを見ると、みんながそれぞれいろんな思い出を作った以上、撤去しづらいんだとおもいます。

『よかトピア』という名前は、通り名になったりと、そういうことは知っていても、『アジア太平洋博覧会』があったことを知っている市民は、どれくらいいるのか、気になります。


当時の福岡市長は、桑原敬一氏。市長辞任後は、福岡市博物館の館長となり、2004年にお亡くなりになりました。のちに、名誉市民に選定。

いまでこそ、高島市長が『アジアのリーダー都市へ』を掲げていますが、桑原市政のときに、このような大規模なイベントを成功させたことが、いまの福岡市がアジアに近づいた原点といえるでしょう。

また当時、福岡ダイエーホークス(現在の福岡ソフトバンクホークス)を招聘し、福岡に10年ぶりのプロ野球球団を復活させたり、Jリーグの福岡ブルックス(現在のアビスパ福岡)を招聘させたのも、桑原市長のおかげです。



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