2013年08月18日

熊本日帰り旅2013夏(#2)

(続きです(^^))


熊本城の天守閣と本丸御殿一帯は、西南戦争開戦の3日前に原因不明の出火で焼失してしまいます。
現在の天守閣は、昭和35年に外観復元されたものです。

大天守は地上地下6階・地下1階、石垣の上からの高さは約30m、小天守は地上4階・地下1階、高さは約19mあります。
ってことは、天守閣のある場所の標高40mくらい、プラス、天守閣の高さで、イコール…80~90mと、だいたい35~40階建てクラスのビルと同じ!
熊本城天守閣からの眺望が確保できるよう、熊本市では建物の建築物の高さ基準もあるのだとか。
福岡市の場合の福岡空港に近いからというのはわかりますけど。


復元された熊本城の天守閣には、エレベーターはついていません。
コンクリート造りとなっていて、内部は、熊本市立博物館熊本城天守閣分館として、加藤家、細川家、西南戦争関連の資料が展示されていたりします。

最上階まで階段を登ると、熊本市内が一望できます。霞んでいましたが、なかなかの眺望。(^^)
実に開放的です。ときどき吹く風が気持ちよかったです。

宇土櫓
宇土櫓は、創建当時から残る唯一の多層櫓。地上5階・地下1階建てで、他の城郭では天守に匹敵する櫓。
もちろん、国指定重要文化財。



本丸御殿。左にある大木が、大銀杏。
熊本城が銀杏城とも呼ばれている由来です。
現在の木は西南戦争で燃えたあとに、芽吹いた脇芽が成長したもので、130年で近くでここまで成長したのだから驚きです。
奥のほうに、市電とくまモンが描かれた建物も見られます(^^)
しかし、霞んでいます。直線距離では500メートルくらいしか離れていないようですけど。



銀杏の木は、加藤清正が築城の際にお手植えになったと伝えられています。
加藤清正が亡くなるとき、「この銀杏の木が天守閣と同じ高さとなったときに、何か異変が起こるであろう」と予言し、それが奇しくも西南戦争のときであったとも言われています。


このあと、本丸御殿へ行きました。本丸御殿は土足厳禁。入口で靴をいれる袋をもらいます。
本丸御殿では撮影も可能だそうですが、今回は撮影せずに見学のみ。次回落ち着いた頃にでも改めて撮影したいところですね。


ふたたび休憩したのち、次は下っていきます。(^^)


源之進櫓、四間櫓等と続きます。
高さ20メートルという石垣の上にあるというから、驚きです。



五階櫓跡



二様の石垣
熊本城が築かれた慶長時代は、全国各地で築城ラッシュ。
右側の石垣は、加藤清正時の熊本城のなかでもっとも古い年代のもので、傾斜が緩やかなのがわかります。
一方で左側の石垣は、細川家のときで、右側に比べても急であり、少し経ってから、石垣が継ぎ足されていることが見てとれます。




竹の丸からの天守閣ビューポイント。



飯田丸五階櫓
いったいどのくらいの高さの石垣上にある櫓なのだろうか。




くまモンを発見!なにかあったあとでした…

福岡ではイベントで会ったことありますが、熊本では、実ははじめてだったり。(^^)




ということで、櫨方門から出ました。


宇土櫓や二の丸などもっと行きたいのですが、時間が時間なので、ここまで。
熊本城を見ようと思えば、たぶん、1日がかりです。(開園から閉園までで足りるか…)



その後、市電で上熊本駅へ向かいました。
市電の上熊本駅前電停の駅舎は、旧JR上熊本駅の駅舎を移設して再利用したもの。
夏目漱石の像は、信号の前に移設されています。



ここから、熊本電鉄に乗り、北熊本へ。
夏場のこの時期は、冷房がついていない、元東急で活躍した青ガエルこと5000系は運用されていません。
元南海のズームカー・22000系改め200系が代走しています。唯一の熊電カラーの車両です。


北熊本では、隣接している車庫で休む、ケロロ軍曹のラッピングを施した5000系を目の当たりにしました。



しばらく撮影して、藤崎宮前へ。

ここで、お昼御飯の時間なので、上通り方面へ抜けました。(^^)

(つづく)



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