2017年08月29日
ダイエー戦士だった井口資仁選手の引退
千葉ロッテマリーンズの井口資仁選手が今季で引退します。
引退を表明されたのは、6月。ちょっと早すぎるような気がしましたが、チームが前年までとは打って変わって苦しい状況(最下位)ということも影響があったのでしょう。
その後、球団から、9月24日、ZOZOマリンスタジアムでの北海道日本ハムファイターズ戦を引退試合とする発表がありました。
井口選手といえば、青山学院大学時代にアトランタオリンピックの野球日本代表としても活躍しました。
そして同年のドラフト会議で、のちの黄金期をともに築くことになる、同じ野球日本代表だった松中信彦さんをはじめ、柴原洋さんや岡本克道さん(現在は、滋賀県にある社会人野球チームのカナフレックス硬式野球部で投手コーチを務められています。)らとともに、ダイエーを逆指名して、1位で入団しました。
福岡ドームで満塁ホームランという、衝撃的なプロデビューを飾ったことは、ホークスファンなら伝説化、言うまでもないでしょう。
その後の活躍も言うまでもない。
2005年からはメジャー挑戦。ホワイトソックスなどで活躍。
2009年に日本に戻ってきて、千葉ロッテマリーンズに入団。
気づけば、ダイエーの在籍年数よりもロッテの在籍年数のほうが長いという…。
近頃は、年齢のせいか、指名打者での活躍も増えていました。
そして、井口選手にとって引退前最後の福岡ラストゲームが、おととい8月27日に行われました。
偶然にも、和田毅投手の肘の手術からの復帰登板になる日と重なりました。
井口選手は、4番、指名打者としてスタメン出場。
第1打席は、レフトへのヒット。
ホークス側のライトスタンドからも歓声が上がりました。
第2打席は、空振り三振。
これが和田投手の通算1500奪三振の達成の瞬間にもなりました。井口選手から三振がメモリアルなものになるとは…。
第3打席は、センターフライ。
これが、この日の和田投手の最後の打者となり、井口選手も福岡での最後の打席でした。
お互いにベンチへ引き上げるとき、マウンド近くで、和田投手は井口選手に一礼し、井口選手は和田投手のお尻をポンッと叩きました。
ともにダイエー時代に活躍した者同士ですもの、なんかかっこいい引き際です。
試合後には、ヒーローインタビューの前に、井口選手のセレモニーが行われ、井口選手はグラウンド内を一周。
ライトスタンドからは、ダイエー時代の応援歌が流れました。
ホークスのベンチ前ではホークスの選手たちが出迎え、工藤監督と和田投手から花束贈呈があり、和田投手とは記念撮影も。
そして、ロッテ側のベンチ前で改めてファンに一礼し、引き上げていきました。
井口選手は、若手に機会を与えてほしいということで、昨日、一軍出場選手登録を抹消。
9月24日の引退試合の日の再登録まで、二軍で調整を続けるとしています。
ホークスは同日、同じ時間帯から楽天戦。試合は見れないかもしれませんが、改めて、なにか用意してくれるでしょう。(ZOZOマリンスタジアムのビジョンになにかしらの動画が流れるといいな。)
井口選手、21年間お疲れ様でした!
※写真は、おとといの試合とは関係ありません。
また、動画は、パ・リーグTVからの引用です。
なお、ダイエー時代に入団させた選手で残るのは、和田投手をはじめ、川崎宗則選手、山崎勝己選手(現 オリックス)、寺原隼人投手、杉内俊哉(現 巨人) 、城所龍磨選手、明石健志選手の7名になります。
2017年08月16日
福岡城跡に幻の天守閣が現れた
福岡市の舞鶴公園で、8月11〜12日の2日間、福岡青年会議所主催の「福岡城夏祭り2017」が行われました。
このイベントで、天守閣を立体的に描いたアルミパネル100枚を組んだ、高さ約13メートル、幅約15メートルの「幻の天守閣」が、福岡城跡の大天守台に組み立てられ、その姿を現しました。
見る角度によっては、本物の天守閣っぽくも、見えなくはなかったです。面白い企画ですね。(^^)
裏側はこんな感じになっていました。
夜はライトアップも行われたみたいですが、撮れませんでした。
このイベントで、天守閣を立体的に描いたアルミパネル100枚を組んだ、高さ約13メートル、幅約15メートルの「幻の天守閣」が、福岡城跡の大天守台に組み立てられ、その姿を現しました。
見る角度によっては、本物の天守閣っぽくも、見えなくはなかったです。面白い企画ですね。(^^)
裏側はこんな感じになっていました。
夜はライトアップも行われたみたいですが、撮れませんでした。
2017年08月14日
今春復活した熊本市電の5014ABを見る
昨年の西鉄電車まつりで修復中だった、かつて西鉄福岡市内線で活躍していた、熊本市電の5014AB。
5014ABは、今年3月末から運行がはじまりました。
現時点では、平日のみで、限定的な運用に就いています。
朝…上熊本駅前→健軍町→上熊本駅前
夕…上熊本駅前→健軍町→田崎橋→健軍町→上熊本駅前
に入っているのを確認しています。
塗装は、西鉄貝塚線で活躍していた313形と同様のツートンカラーです。
まずは、ひのくに号車内から確認。前回(4月)は土日で見れなかったのもあり、ようやくでした。
(味噌天神でバスを降りて、健軍町折り返しの5014ABに乗ろうか悩みましたが、この日は、熊本城の近況を見るのが目的でもあったので、見かけても撮影に徹することにしていたので…。(^^; )
熊本市電ナビ https://www.kumamoto-city-tram.jp/ で位置情報を確認しつつ、花畑公園近くの銀座通り歩道橋で待ち伏せし、無事に撮影できました。
朝の運用はこれでおわり。
夕方、通町筋電停へ。
実は、時間ミスで健軍町行きの便(B系統)を逃しています。
結局、5014AB唯一のA系統運用である田崎橋行きを待つことに。
田崎橋行きは道路状況次第だとは思いますが、通町筋で健軍町行きと並びます。
そして再び、銀座通り歩道橋へ。花畑町電停では多くの人が降りていきました。熊本の歓楽街の最寄りですからね。
渋滞する中も気にせずに…。これだから、市民にとっての市電の重要さがわかります。
そしてまた、通町筋に戻って。すっかり日が落ちて暗くなってしまいましたが、信号待ちのところを撮影。これでこの日すべての撮影が終了です。
次回は、ぜひとも乗りたいところですね。どう計画を練ろうか…。
5014ABは、今年3月末から運行がはじまりました。
現時点では、平日のみで、限定的な運用に就いています。
朝…上熊本駅前→健軍町→上熊本駅前
夕…上熊本駅前→健軍町→田崎橋→健軍町→上熊本駅前
に入っているのを確認しています。
塗装は、西鉄貝塚線で活躍していた313形と同様のツートンカラーです。
まずは、ひのくに号車内から確認。前回(4月)は土日で見れなかったのもあり、ようやくでした。
(味噌天神でバスを降りて、健軍町折り返しの5014ABに乗ろうか悩みましたが、この日は、熊本城の近況を見るのが目的でもあったので、見かけても撮影に徹することにしていたので…。(^^; )
熊本市電ナビ https://www.kumamoto-city-tram.jp/ で位置情報を確認しつつ、花畑公園近くの銀座通り歩道橋で待ち伏せし、無事に撮影できました。
朝の運用はこれでおわり。
夕方、通町筋電停へ。
実は、時間ミスで健軍町行きの便(B系統)を逃しています。
結局、5014AB唯一のA系統運用である田崎橋行きを待つことに。
田崎橋行きは道路状況次第だとは思いますが、通町筋で健軍町行きと並びます。
そして再び、銀座通り歩道橋へ。花畑町電停では多くの人が降りていきました。熊本の歓楽街の最寄りですからね。
渋滞する中も気にせずに…。これだから、市民にとっての市電の重要さがわかります。
そしてまた、通町筋に戻って。すっかり日が落ちて暗くなってしまいましたが、信号待ちのところを撮影。これでこの日すべての撮影が終了です。
次回は、ぜひとも乗りたいところですね。どう計画を練ろうか…。
2017年08月12日
熊本市電最古の1060形1063号を見る
熊本市民の足とも言える、熊本市電。
今回紹介するのは、その熊本市電の最古の車両です。
熊本市電最古の車両は、1060形1063号です。
1063号は、大阪の廣瀬車輌によって、昭和26年に製造されました。
のちにワンマン化や冷房設置といった改造が行われるなど経て、現在に至ります。
もともと、側面の乗降ドアは3つあったそうで、車両の全長も、通常の車両よりも長くなっています。
↓言われてみれば、車両外観、扉があったとされる部分の側面窓の形(冷房車のステッカーが貼られている)が、他の窓とは違うのがわかるほか、ドア部分を鋼板で埋没した痕跡もうっすらですが見られます。
2003年より、熊本市電の旧塗装を唯一纏っていて、その塗装をいまも維持しているため、一般車両よりも見分けもしやすいです。
しかし、運用は決まっておらず、他の車両の不具合や検査時などにおける、予備車扱いという形になっているそう。
普段は、上熊本の車庫のほうで留置される機会が多いとか。(自分が熊本訪問のたびにほぼ見かけるように見えるのは、何かしらの偶然かもしれないけど…。)
車齢は65年を越えましたが、これからも末永い活躍をしてもらいたいものですね。
今回紹介するのは、その熊本市電の最古の車両です。
熊本市電最古の車両は、1060形1063号です。
1063号は、大阪の廣瀬車輌によって、昭和26年に製造されました。
のちにワンマン化や冷房設置といった改造が行われるなど経て、現在に至ります。
もともと、側面の乗降ドアは3つあったそうで、車両の全長も、通常の車両よりも長くなっています。
↓言われてみれば、車両外観、扉があったとされる部分の側面窓の形(冷房車のステッカーが貼られている)が、他の窓とは違うのがわかるほか、ドア部分を鋼板で埋没した痕跡もうっすらですが見られます。
2003年より、熊本市電の旧塗装を唯一纏っていて、その塗装をいまも維持しているため、一般車両よりも見分けもしやすいです。
しかし、運用は決まっておらず、他の車両の不具合や検査時などにおける、予備車扱いという形になっているそう。
普段は、上熊本の車庫のほうで留置される機会が多いとか。(自分が熊本訪問のたびにほぼ見かけるように見えるのは、何かしらの偶然かもしれないけど…。)
車齢は65年を越えましたが、これからも末永い活躍をしてもらいたいものですね。
2017年08月10日
熊本城を見る2017(#10)熊本地震から2年目の夏(20170808)
毎日、お暑うございます。暑い日が続くと、ほとんどのことに身が入りませんね。体調を崩しがちにもなりやすい時期ですから尚更です。
さて、8月8日に熊本へ行ってきました。
4月にあった熊本復興飛翔祭以来ですから、約4ヶ月ぶりです。
もちろん、熊本も暑かったです。汗だくになりました。:)
熊本へこれから行こうとお考えの方、水分補給などの熱中症対策はお忘れなくです。
今回は、熊本城の近況からお伝えいたします。
大天守と小天守
大天守の上部の解体作業がほとんど終わりました。沈んでいるように見えるかと思います。
あわせて、小天守も下階の部分を解体する作業がおこなわれています。瓦もほぼなくなっています。
加藤神社から
熊本市役所の14階の展望スペースから
戌亥櫓
今月から、戌亥櫓前の空堀部分が一部開放されて、より近くで、櫓と石垣を見上げるように見ることもできるようになりました。
戌亥櫓の石垣もまた、飯田丸五階櫓の石垣ように隅石だけで支えている部分がありますが、それをじっくり見ることもできます。
飯田丸五階櫓
飯田丸五階櫓は、櫓の下の石垣の本格的な除去作業にともない、先月末からは、櫓の下に新たに受溝台(赤い鉄骨)が設けられました。
『奇跡の一本石垣』も解体されることになり、櫓も解体されたのち、再建される方針みたいです。復元整備事業で復元された櫓だけに…。
現況を見るならば、熊本市役所からだと見下ろす形になるため、その様子がわかりやすいです。
おまけ…天守と宇土櫓
宇土櫓は変わらずです。
といったあたりですかね。今月はもう一回再訪を予定しています。
さて、8月8日に熊本へ行ってきました。
4月にあった熊本復興飛翔祭以来ですから、約4ヶ月ぶりです。
もちろん、熊本も暑かったです。汗だくになりました。:)
熊本へこれから行こうとお考えの方、水分補給などの熱中症対策はお忘れなくです。
今回は、熊本城の近況からお伝えいたします。
大天守と小天守
大天守の上部の解体作業がほとんど終わりました。沈んでいるように見えるかと思います。
あわせて、小天守も下階の部分を解体する作業がおこなわれています。瓦もほぼなくなっています。
加藤神社から
熊本市役所の14階の展望スペースから
戌亥櫓
今月から、戌亥櫓前の空堀部分が一部開放されて、より近くで、櫓と石垣を見上げるように見ることもできるようになりました。
戌亥櫓の石垣もまた、飯田丸五階櫓の石垣ように隅石だけで支えている部分がありますが、それをじっくり見ることもできます。
飯田丸五階櫓
飯田丸五階櫓は、櫓の下の石垣の本格的な除去作業にともない、先月末からは、櫓の下に新たに受溝台(赤い鉄骨)が設けられました。
『奇跡の一本石垣』も解体されることになり、櫓も解体されたのち、再建される方針みたいです。復元整備事業で復元された櫓だけに…。
現況を見るならば、熊本市役所からだと見下ろす形になるため、その様子がわかりやすいです。
おまけ…天守と宇土櫓
宇土櫓は変わらずです。
といったあたりですかね。今月はもう一回再訪を予定しています。