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2017年03月22日

西鉄9000形を見る

3月20日、西鉄天神大牟田線の新型車両である9000形が運行を開始しました。
3000形同様に、5両で運転されるのが、現時点では基本となりそうです。

運行開始当日は祝日だったこともあって、現場が混乱の恐れもあるだろうと判断。もっとも、生憎の天気だったこともあり、予定を回避し、昨日21日に乗ってきました。

車内は、7050形以来のオールロングシートを採用しています。
3000形同様に車体幅もわずかに広くなっているので、白を基調とした明る車内というもあり、窮屈さを感じさせず、広々しています。


赤モケットで、1人分が広めにとられていて、9人掛けになっています。クッション性も悪くないです。(JR九州の817系のロングシートと比べて…ですがw)


ステンレスの無塗装の乗降ドア。
扉の開閉注意のランプが付けられ、巻き込み防止の黄色い識別も施されています。
なお、ドアの上には、2つの旅客案内モニターがついています。片方は停車駅等の案内(4か国語にも対応)、もう片方は広告(現時点)。



車内の車番表記も一新されていました。
昨秋に落成し、筑紫車両基地へ搬入されていますが、2017の表記…。



車外の行先表示。LED方式・カラー表示で、4か国語にも対応。
最近のLEDの宿命か、シャッタースピードは遅めにしていないと、まともに写りません。(写真は、1/160s)


西鉄二日市駅にて


こちらもシャッタースピードは1/160sでしたが、行先表示が少し切れてしまっています…。(西鉄小郡駅にて)



5000形とのすれ違い。実に40余年の差…。(薬院駅にて)



ということで、個人的にも乗る機会がちょくちょくありそうです。(^o^)  


Posted by けいたん at 10:00西鉄(電車)撮影

2017年03月21日

西鉄天神大牟田線の井尻~雑餉隈間の仮線路を見る(20170318)

2017年3月11日、西鉄天神大牟田線の井尻~雑餉隈間の一部が、仮線路へと切り替わりました。
切り替わった理由もちろん、高架化工事による高架橋建設に伴うものです。

3月18日に撮影した前面展望で見ていきましょう。

福岡(天神)駅発の下り列車に乗車すると、井尻駅を過ぎ、JR鹿児島本線との交差を過ぎて、牛頸川上の辺りから、旧線路の東側に敷かれた仮線路になります。





三筑公民館、金光教雑餉隈教会のそばを通り過ぎ、すでに高架橋の柱が立っているところで、仮線路区間は終わり、雑餉隈駅へ進入します。




同区間の切り替わる前(2017年1月撮影)。



すでに線路が敷設されていて、架線さえ張れば、いつでも切り替われるような状況でした。このときはまだ、具体的な日程までは公式な発表はなされていなかったはずです。  


2017年03月19日

西鉄9000形の試乗会!(20170318)

昨日3月18日、明日20日から運行開始予定の西鉄天神大牟田線の新型車両・9000形の試乗会が、福岡(天神)~筑紫間で1往復運転されました。

9001F(3両)+9104F(2両)+9103F(2両)の計7両で運転されました。


西鉄二日市駅にて (送り込み回送)




大橋駅にて(ピン甘になったのでシャープネス効かしています…(_))


大橋~井尻間 (返却回送)




↓動画





9000形デビューの広告 (よりによって、東芝が出していますねぇ。)




明日の運行開始は、筑紫10:11発の小郡行き普通(3101列車)となる予定です。
  


Posted by けいたん at 10:00西鉄(電車)撮影地域情報イベント関連

2017年03月17日

オープン戦で和田と杉内の同級生対決が実現!(20170316_H-G)

昨日3月16日、プロ野球、ホークス対巨人のオープン戦を観戦してきました。

この日の先発は、ホークスがわっちこと和田毅投手、巨人がスギこと杉内俊哉投手。

ともにホークスの先発柱として活躍した者同士、同級生対決がオープン戦でついに実現しました。(^^)


和田投手は31日のロッテ戦で開幕投手が内定済みです。心配無用。


一方の杉内投手は、右股関節痛により一昨年のシーズン途中から登板なし、昨年も手術明けのリハビリもあってシーズンを棒に振って登板なしに終わり、この日がオープン戦初登板となりました。
そういえば、個人的に、巨人のユニフォームを着ている杉内投手の姿を生で見るのは、これがはじめて。で、オープン戦とはいえ、実戦で投げている姿を見るのはホークス在籍時以来ですね。


二人は、前日に、この日の登板についてのメールのやり取りをしたそうな。


この日のスタメン

育成の曽根海成選手(2013年育成ドラフト3位、#140)が、今宮選手に変わって、9番でショートに入っています。


試合は、開幕投手内定の和田投手の投球が冴え渡り、6回投げて9K!当初の予定では100球が目標だったみたいですが、球数はその途中、本人の志願による交代のようでした。

杉内投手は、江川に2ランを浴びるなど、球速も130キロ台がほとんど。3回2/3で交代となりました。

同級生対決は、和田投手が勝利。そして、オープン戦で2勝目としました。
和田投手は、公式戦でもどこまで勝ち星を重ねられるかが、楽しみです。


~~~~~

今季新加入のカイル・ジェンセン選手。
背番号は、昨季まで細川亨選手(→楽天に移籍)がつけていた27番。
ヤフオクドームではすでに2試合連続となるホームランを放つなど、次第に日本の野球に馴染んできている印象を受けます。


なお、WBCでキューバ代表だった、ロッテから移籍のデスパイネ選手は、来週中盤以降の合流予定とのことで、ジェンセン選手と併用するのかなど、シーズンでどういう起用となるのか、こちらもまた楽しみです。  


Posted by けいたん at 10:00撮影スポーツ

2017年03月15日

赤坂門市場の近況(20170314)

昨年9月末で閉鎖された、赤坂門市場。
その直後から、立ち入れないように封鎖されていましたが、建物には心ない落書きがあり、あまりいい印象を受けませんでした。

そして最近、下部がシートで覆われるようになりました。もうじきあろう解体の前提でしょうね。



さらに、目の前にあった「赤坂門市場前」交差点の名称も、気づけば、「赤坂1丁目」に変更されていました。うーんと首を傾げそうになりましたが、ふさわしい名称はないものですね。


今後の動きに注視しておきたいものです。
  


Posted by けいたん at 10:00雑談撮影福岡市中央区赤坂

2017年03月14日

熊本市内を歩く(#4)富重写真所

熊本市内を歩く。4回目の今回は、新町にある「富重写真所」です。

上野彦馬のもとで写真術を学んだ初代の富重利平が1866年(慶応2年)に柳川で開業したのち、1870年(明治3年)に熊本市新町へ移転しました。
以来、熊本の近代を語る写真の数々を撮影し続け、今日に至っています。

そうした経緯から、日本最古の写真館とも言われています。

富重写真所の坪井川沿いに面した木造建物は1877年(明治10年)築(西南戦争で焼失するも同地で再築されたのが現在の建物)で、木造2階建ての建築となっています。
当時は、ガラス屋根を透過した光をいったん床に当て、バウンドさせた光を再度、壁面で捉え被写体を照らして、立体感を作り出す仕組みとなっていたようです。
また、文化庁の登録有形文化財、熊本市の景観形成建築物の指定を受けています。

万歳橋から見る建物。



周囲はすっかりビルやマンションなどになりましたが、当時はどんな光景だったのでしょう。

なお、熊本県教育委員会の調査報告書によると、写真の原板が842点、写真1176枚、カメラ機材379点など、膨大な資料が写真館に伝わっているという。
そうした1000枚を超える数の写真には、明治期の人や風景、さらには西南戦争の戦跡まで写されており、当時の熊本の姿がわかるのだという。(その半数近くが、県立美術館の収蔵庫に保管されています。)

写真館の正面にあるガラスケースには、いずれも明治期、富重写真所で撮影された小泉八雲らの肖像写真、そして、西南戦争で焼失する前の熊本城天守閣の写真が飾られています。
ちなみに、夏目漱石らもここで肖像写真を撮影されています。


(シャッターが下りていたので、道路側の建物の正面がちの写真は撮っていません。)

建物内部もそうですが、貴重な写真の数々も見てみたいものですね。


富重写真所
熊本市中央区新町2-8-5  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影熊本

2017年03月11日

58654号機が日田彦山線経由で送り込み回送!(20170310)

3月10日、SL人吉号に使用されている、ハチロクこと58654号機の送り込み回送(無火状態)が、日田彦山線経由で運転されました。
日田彦山線経由で運転されるのは、同機が「SLクロスロードふくおか号」として自走運転されて以来で、16年ぶりだったみたいです。

この回送については、事前に告知されていたのもあって、沿線や運転停車する駅では多くの人が集まりました。

ということで、田川後藤寺駅で撮影しに行ってきました。

小倉工場で検査を受けて、車体もピカピカになっています。



後ろの炭水車の後ろには、こんな銘板もついています。こういうときでないと気づかないものですね。


田川後藤寺駅の駅名標を入れてみました。


ピカピカに磨かれています。








ハチロクに会うのは、昨年5月以来です。
そのときのようすは、まだ取り上げていませんが…(^^)

今年のSL人吉号の運転開始は、3月18日からの予定です。来週からですね。

がんばろう熊本!(^^)  


Posted by けいたん at 10:00ローカル線(JR線)蒸気機関車撮影田川

2017年03月10日

熊本市内を歩く(#3)西村邸

熊本市内を歩く。3回目は、西村邸です。古町エリアです。

西村邸は、明八橋そばの坪井川沿いにあり、南側の道路に面して倉庫が設けられ、北側の坪井川に面して住宅が建てられています。
大正6年(1917年)築とのことで、今年で100年を迎えます。

住宅は木造2階建てで、住宅内部の床・壁・天井に数寄屋風の意匠が使われています。
また、もともと油商であったため、敷地の東西のレンガ造の防火壁に特徴。
特に、東側は2階建ての外観に合わせた煉瓦壁になっています。

2010年には、熊本市の景観重要建造物の指定(第2号)を受けています。

地震前まで、道路側の倉庫跡では「器李家カフェ」というカフェが営業されていました。

危険度判定では赤紙が貼られていて、2階部分の外壁が剥がれるなどしていましたが、すでに綺麗に直されています。

2016年5月13日



隣に家があった痕跡が煉瓦壁にくっきりと残っています。


古町エリアは、西南戦争でも被害が少なかったようで、いまも多くの町家が残っています。


かつて、坪井川を使って積み出していたということもあり、裏手にはその痕跡らしきものも残っています。



2017年2月20日



2017年3月6日



西村邸
熊本県熊本市中央区西唐人町10  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影熊本

2017年03月06日

熊本市内を歩く(#2)味噌天神(201605)

熊本市内、取り上げる内容はだいたいは中心部がメインになってしまいますが、地震によって、気づかない間に、変わってしまった光景も少なくありません。また、被害状況なども取り上げていこうと思います。

2回目は、昨年5月時点の味噌天神の状況です。

正式な神社名は、本村神社。
和銅6年(713年)に悪疫が流行した際、平癒を祈願して「御祖天神」を御祭神として祀ったのがはじまりとされていて、それが時代を経て「味噌天神」となった。
味噌天神というのは俗称であり、日本で唯一、味噌に対する利益があるとされることがその由来。


由緒書き(現地案内板より)

味噌天神

旧記には天神社と記され、正式には本村神社であるが、一般的には味噌天神の名で知られ、全国唯一の味噌の神様として崇められている。
伝承によれば、和銅六年(七一三)に悪疫が流行したとき神楽の神「御祖天神」を祀ったのがはじまりで、その後国分寺の味噌蔵の守護神となったので「味噌天神」と呼ばれたという。
神社の境内に生ずる笹は、味噌の味をよくするというので、戦前は各地から貰いに来る人が絶えなかった。学説では天神の御衣を納めた「御衣天神」であろうとされている。


と、由緒深き神社なのですね。

熊本地震で、県道28号に面した鳥居が倒壊。


どこへ…と境内を歩いていたら、有りました。

昨年5月の訪問時は、鳥居の瓦礫が境内に置いてありました。再建されるのが待ち遠しいですね。



社殿も、屋根瓦が剥がれかかっていたり、少し湾曲しているようにも見えました。



ひのくに号に乗ると、目の前に見えているのに、唯一、地震前の写真を撮っていなかったのが心残りです。

味噌天神(本村神社)
熊本市中央区大江本町7-1  


Posted by けいたん at 10:00名所めぐり撮影熊本

2017年03月03日

熊本城を見る2017(#8)隈本城(古城)跡(20170220) #熊本

先月もひっそり、熊本へ。…雨でした。

熊本城の南側、新町の近く。

現在の第一高校の校地内と、戦後に堀が埋め立てられてしまい公園化していますが、これらの一帯にはかつて、隈本城(古城)がありました。

古城跡(ふるしろあと)
加藤清正が今の熊本城を築く前には、この地に鹿子木寂心(親員)の築いた隈本城があり、のちに古城(ふるしろ)と呼ばれた。
この城には、鹿子木氏の後、城氏が入り、豊臣秀吉の九州征伐にあたって、この城に薩州攻撃の本陣をすすめた。その後、佐々成政の居城とし、加藤清正も現在の熊本城に移るまで二十年近く在城した。

(第一高校の国立医療センター側の門の前のある案内板より)

古城堀端公園一帯は、文字通り、戦後に埋め立てられるまでは、古城堀があったのです。

古城堀
熊本城は日本三名城の一つにも数えられ、約九十八万平方メートルもの広さを持つ豪壮雄大な城です。
明治十年の西南の役では薩軍の猛攻撃に耐え、その真価を発揮しましたが、その際天守閣を始め多くの櫓が失われました。そこで、文化庁と熊本市では本来の姿への復元を進めています。
この付近一帯は古城の堀の跡で、戦前の段山を削った土や昭和二十八年の大水害の際の排土で埋められたものです。そのため熊本市は、昭和五十四年度からこの地区の公有化を進めており、将来は浚渫して、旧態の堀に戻すことにしています。

(古城堀端公園内にある案内板より)

熊本地震では、第一高校の正門前に架かる橋の欄干とその下の石積みが一部崩れた以外は、ほとんど被害はなかったもよう。

半年以上も経ってようやく、その撤去作業が始まった感じにみえました。

2017年2月撮影


2016年5月撮影


~~~

石垣には蔦や藻に被われていて、ほとんど整備されていませんが、当時の石垣は残されていて、その積み方もしっかり学べます。






案内板にも書いてあるように、浚渫(しゅんせつ)、即ち、いずれはこの一帯を堀に戻すみたいな、そんな計画もあるみたいですが、地震後の復興費用だけで膨大なので、厳しいのではないかなとも思っています。(もっとも、こうした案内板がいつ設置されたものかも気になるところだとは思いますけど。)

トリビア。。!
古城跡や古城堀端公園の『古城』は“ふるしろ”と読みます。
しかし、その古城堀端公園のあるところの地名は、“古城町(こじょうまち)”と読みます。(^_^)
  


Posted by けいたん at 10:00撮影史跡・遺産関連熊本熊本城

2017年03月01日

特急かわせみやませみを見る(20170228)

昨日2月28日、今週末の3月4日実施のJR九州ダイヤ改正から、熊本~人吉間にて運行を開始する、新たな観光列車、特急『かわせみやませみ』のお披露目が、博多駅にて行われました。

公開は20分程度の短時間。車内の見学は未実施でした。


“かわせみ(翡翠)” キハ47-8087



“やませみ(山翡翠)” キハ47-9051





特急かわせみやませみは、1日3往復、運転されることになっています。
停車駅は、熊本、新八代、八代、坂本、一勝地、渡、人吉です。


いずれは、熊本で撮る予定になるので、今回は撮らなくても良かったのではと思ったのですが、待てませんでした。
(博多駅が撮り鉄しづらくなったのは重々承知していましたが。。)



  


Posted by けいたん at 10:00ローカル線(JR線)特急撮影熊本